2018年4月2日

2018年4月2日、僕の社会人生活がスタートした。

社長が話してた。「今日という日の気持ちを大切に持っておいてください。きっと何年か後、あなたにとっての大きな財産になるはずです。」と。

なんとなく自分でもそう思うので、熱が冷めやまぬうちに今の気持ちを書き残しておきたい。

内定を頂いてから、ずっと社会人になること、入社することを楽しみにしていたのだけど、なんでか入社前日、会社に入るのがとても憂鬱になって、「あれ、このままずっと寝てたらどうなるかな?」とか、変な気持ちになっていた。

不安と期待の入り混じったよくわからないコロコロした感情のまま、会社の集合場所に向かった。集合場所に行くと、すでに見知った顔がいくつかある。一人一人の表情を見ながら、懐かしい顔を見つけては会釈をしていくうち、なんともいえない安心感がわいてきた。「仲間がいる」と思えたのかもしれない。とにかく、ちょっともやもやしていた気持ちはすぐにどこかに行ってしまっていた。

 

「これから新しい生活が始まるんだ。」(エモ)

 

入社式。別に自分が何かやるわけでもないし、どうってことはないんだけど、勝手に緊張していた。

腹式呼吸をした。これは中学校の国語、書道の時間に心を整える時間として先生が促していた腹式呼吸が妙に好きで、今でもソワソワするときに実践していることだ。

椅子は浅く座って、手は軽く握って膝の上に。これはとある企業の選考で教えてもらった作法だ。

腹式呼吸も、椅子の座り方も、体が自然に動いたって感じ。

なんだか変な話だが、これまでの人生での経験を自分の中に取り込みながら、今の自分がここにいるんだなあと感じて、しみじみとこれまでの人生に感謝した。(エモ)

 

社長の言葉が妙に心に残った。こういう型通りのあいさつ文はあまり頭に入ってこないんだけど、今回はなんだかすごくよく心に入ってきた。

二つのメッセージとして「Endless Update」「moonshot」という言葉を頂いた。

これがどちらもすごく共感できるというか、自分の心にすっと落ちてくるものがあって、「これは社長の声だけど、仏様のお導きかな?」と思いながら聞いていた。どっちも絶対自分の中で持ち続けていきたい。

Endless Updateは、「常に現状に満足せず、上を上を目指して突き進んでいくこと。」だと解釈した。これは本当に自分の中で持ち続けていたい。これから一か月研修するわけだけど、どうしても同期の中での自分の位置を考えがちになると思う。仮にその中でまあまあできていたとしても、そこで慢心したら本当に終わり。あっという間に他の会社に進んだ友達に置いていかれてしまうだろう。常に高いところを見続けて、自分をアップデートしていきたい。これは何度でも自分に言い聞かせたい。

moonshotは、「初めて月を目指すような、壮大な夢を描きなさい」という意味の言葉。この言葉は知っていたが、正直入社式で社長の口から出てきたことに驚いた。ベンチャーの社長とかは言いそうだけど、これほどの大企業グループの社長でも言うんだ と思った。最近は想像力というものを意識しながら人と接するように心がけているのだけど、誰かの発言をそのまま受け取るんじゃなくて、「この人がこの場でこういうことを言うってどういうことなのだろう?」ということを意識するようにしている。社長がこの発言をした意図ってなんなのだろう。社長は、本気で世界一のデジタル広告会社を作りたいと話していた。

これを聞いて、「あっ、でかいこと掲げていいんだ。」と安心するような感覚があった。ちょっと前、同期と話していたこともその一つ。

「ネット広告を、心から良い広告だよねと言えるようにしたい。」

正直、今はネット広告なんてうざいものとしか思えていない。リニアな情報が溢れる時代に、広告を無理やり差し込むこと自体に無理があると思う。ただクリックしてもらえたらいいとか、そんなことだけじゃなくて、もっと本当の効果を追い求めたい。そして、心から「このネット広告は価値があります!」と言えるようなものを作りたい。そういう本質を追い続けることを、まず最初の自分のムーンショットにしたい。

 

色々感じたことはあるけど、初日はこれに集約されるかな。

 

あ、あと、「でかい会社に入れてよかったな。」と思う瞬間があった。まだ何も始まってないのに何言ってんだ?って感じだけど、とにかくそう思った。

「これからこんなにでかい山を登れるんだ。」と。(エモ)

マクロな対象としての“世の中”との距離が近くなった感じがした。社会に対して大きなことができそう。これからの坊主キャリアにとってもそうだし、きっとこれからの5年くらいはとても良い経験ができる、望んでいた環境はあるなと思った。たぶんこの感覚は間違っていない気がしている。

 

さて、寝落ちして今日になっちゃったけど、今日も頑張ろう。

ヨーロッパ旅行前半戦 メモ

テストや卒論、やりたいことに追われ、卒業旅行にいくなんてあんまり考えてなかったけど、大学で最初に仲良くなった同じ学部の友達のたけるに誘われたので、卒業旅行としてポーランドウクライナに行くことにした。

さらにせっかくならということで、後半は彼女を呼び寄せ、ギリシャクロアチアに訪れることに。

 

現在旅行も折り返し地点。彼女と合流するためワルシャワ空港にいる。簡単にここまでの旅行を振り返ってみる。

 

◆2月5日

朝に出発して、10時間の飛行機に揺られる。機内ではあらかじめダウンロードしていた「ライフイズビューティフル」と「戦場のピアニスト」を視聴。ライフイズビューティフルを見た時点で涙腺崩壊。心が苦しくなって、自分はこれからこのアウシュビッツに行くのか・・・という気持ちになって、自分の軽率さを嘆いた。そして続けて戦場のピアニストを視聴。こちらは本当に怖い映画で、戦争の恐ろしさを痛感した。ピアニストの感動ストーリーかな?くらいに思っていたので衝撃が大きすぎた。このあと自分はワルシャワの地に降り立つのかと、怖い気持ちになった。急に一人であることが不安になった。こういう悲劇の場所に自分が深く考えもせずに行こうとしていたことに対して呆れた気持ちになった。

ワルシャワに到着。飛行機でちょっと寝たので、怖い気持ちはちょっと薄れ、観光の気持ちを取り戻すことができた。

ついたのが夕方だったので、その日は軽くまちを散歩して、宿に荷物を置いてから旧市街地に繰り出した。寒くてウルトラライトダウンを着ているのに震えて帰りたくなった。夜ご飯は旧市街の近くのポーランド料理屋で。餃子みたいのと、くりぬいたパンにスープが入ってるやつ。あんまりおいしくなかった。夜はドミに入った瞬間寝てしまった。

 

◆2月6日

1日ワルシャワ観光。

・ワジェンキ公園

ここは夏に行くと毎週音楽会が開催されている西洋一美しい公園らしい。が、冬は雪に覆われ寒い。むろんコンサートもやっておらず。まあいい。すごく静かで、ショパンを聞きながら講演を歩くととても雰囲気があった。(ポーランドショパンの生まれた地)

水上宮殿なる場所には、なぜか野生のクジャクが・・・!5羽くらい佇んでいた。近くで見ても全然動じないし、何なんだ・・・。羽めっちゃきれいだけど、クジャクって飛ぶのかな?

あと、銅像もたくさんある。ニーブラの像もあった。

ショパン美術館

ショパンの半生がてんこ盛りに綴られる。とにかく展示が多い。楽しむための仕掛けがたくさんあって、ショパンのことをあまり知らなくても楽しめた。

・旧市街地

タイ料理を食べて、旧市街地へ。昨日は夜だったので、また景色が違う。露天商などもおり楽しかった。ワルシャワの旧市街地は、すべて戦後に復刻されたもの。ヒビまで再現したというそのポーランド人の不屈の精神に対して、世界遺産認定されたのだという。戦場のピアニストも観ていたので、非常に感慨深かった。

ワルシャワ蜂起慰霊碑

観光客があまり行かないというワルシャワ蜂起の慰霊碑にも立ち寄った。町はずれの住宅地、小さな区画だけど木に囲まれていて、外からは見えないとても静かな場所。まだ新しそうな花が供えてあった。彼らの魂は、いまなおワルシャワに息づいているとの碑文が印象的だった。

・ウェルスアンドファーゴ

そうだ、古着屋巡りもした。ポーランドには、量り売りの古着屋がある。量り売りの古着屋は、1kg当たりの重さで値段が決まる。三か所くらい回ったけど、それぞれkg当たりの値段が違っていて面白かった笑

ポーランドの街歩いていても、あんまりおしゃれだなと思う人がおらず、みんな同じような服装をしていて、古着屋もそこまで欲しい服はなかった。一着いい感じのがあったから買った。

ショパンの心臓の教会

ショパンの心臓が収められている教会がある。ワルシャワにはいくつかガイドブックにのるような教会があるのだけど、ここはちょっと雰囲気が違った。もちろん内装の美しさはあるんだけど、何より地元の信者さんがめちゃ足を運ぶ教会のようだ。ほかの教会とくらべて、地元の人がとても多かった。老人から若者、カップル、家族など、様々な人が訪れているのが印象的だった。なんでこんなに信仰が深いんだろう。たまたま神父さんがお告げ?みたいのをやる時間にあたって、小さい部屋に50人くらいだろうか、信者さんが集まって、復唱したり、歌を歌ったりしていた。僕もこっそり忍び込んで、後ろで見させてもらった。みんな思い思いに十字架をきっている。神父さんは謎の儀式をしていて、なんかまるい紙?花びら?みたいのをコップに入れたり出したりしている。そして最後にはそれを食べていた。。

しばらく眺めていたら、急に信者の皆さんが前後左右の人たちと何か言いながら握手を交わし始めた。すっかり油断していた僕は、まさか急に自分にも関心が向けられるとは思ってもおらず、たじろいだ。すると、一人のおじいさんがとてもやさしい目で握手を求めてきた。手があったかい。すごく優しい目でこっちを見ている。何だろう、すごく安心する気持ちになった。続けて何人かと握手したけど、なんだろうこれは。暖かい。これが隣人愛ってやつなのか。悪くない。いろんな世代の人との交流の場所にもなっていてとてもいいなと思った。初めてキリスト教を体験したけど、教会の雰囲気とか、こういう儀式とか、正直思想はあまり理解できないけど、体験としてはすごくよかった。

・たけると合流

何とかワクチン接種のめどが立ったたけるがワルシャワにやってきた。感動の再開を果たすべく空港へ迎えに行った。相当疲れがたまっていたのか、空港で寝てしまったら、たけるが到着していて、感動の再会ならず笑 なんで待たせるんだよ的な、哀愁のある再会になった。合流してドミトリーへ。長い一日だった。夜はケバブキングにて大盛りケバブサンドを食らう。

 

◆2月7日

この日は朝からクラクフに移動。そしてヴィエチリカ岩塩抗という世界最大の塩の洞窟へ。世界遺産なだけあって大迫力。螺旋階段を延々と降りた先に、地下世界が広がっていた。本当にここが地下かとびっくりするほどの巨大洞窟になっていて、1800年代前後の人が掘り進めたのだと思うと尊敬しかない。何年かかったらこんなすごいものができるんだという感じ。地下には巨大な教会があった。これも本当に見事としか言いようのない場所だった。最後、地上まで上がるエレベーターが「かご」って感じでスリル満点で面白かった。

夜はちょっとクラクフの街を歩いて、かんちゃんとその友達と合流してご飯。クラクフ超綺麗。雪が街並みに映えていた。教会の内装もこれまで見た中で一番きれいで、さすが最初に世界遺産に登録された10数のうちの一つだなと思った。

かんちゃんたちといったご飯もおいしかったなあ。じゃがいものミルフィーユグラタンみたいのがおいしかった。

◆2月8日

チェルノブイリ&夜行バストラブル

◆2月9日

夜行バス&注射

◆2月10日

チェルノブイリツアー

◆2月11日

キエフの街散策&オペラ

◆2月12日

彼女と合流

 

 

 

夜と霧を読んですぐにこれを書いている

友人に誘われ、二月にヨーロッパに卒業旅行に行くことになった。行先は、ポーランドウクライナ。目的は、アウシュビッツチェルノブイリだ。なんとも意識が高いと思われそうであまりぺらぺらと話すのをためらう行先だが、自分としては、ヨーロッパの中では最も行きたいと思えた場所である。

とはいうもの、それらの場所が抱える歴史に関する知識を僕は持ち合わせておらず(これが俗にいう意識高い系の傾向である...)、予習として「夜と霧」そして「チェルノブイリの祈り」を読むことにした。

 

さて、「夜と霧」をたった今読み終えたわけだが、まあ感想など述べられるわけがない。裏表紙の解説には、「言語を絶する感動」と書かれているが、それともちょっと違って、ただ「何も言葉が出ない」というほうが僕的にはしっくりとくる。

こんな奇跡としか思えない作品がこの世に残されたこと。そして自分がいまこの本に出合えたということ。それ自体が感動的だと思わされる。

本当にこんな奇跡のような作品がこれからの時代にも脈々と語り継がれていくのだと思うと、なぜだか希望に満ち溢れた気持ちになる。

同じようなことを二文に繰り返してしまったが、それほどまでに、読めて良かったと思う。

 

二年生の頃、「堕ちるところまで堕ちたい」と強く願っていた時期がある。

ある本を読んだことがきっかけであったのだが、つまりはそういう人生のどん底を経験した人にしか見えない世界があるのではないか、そういう人には僕が絶対に持ちうることのできない人間の深みのようなものが備わるのではないか、自分もそこへ行きたいという願望が湧き上がっていたのだ。

当時あれこれと妄想はしたが、結局安泰な道から外れることはできず、今に至っている。そしてこの「夜と霧」を読んだ今、あの時と同じような感覚がある。

僕がこの本から最も受け取ったもの、それはやはり、およそ非現実的な環境に置かれてこそ、「人間とは?」という人類最大の問いが深まってくるのではないかということだ。

フランクル氏の考えは、もはや悟りに近い境地に達していると感じた。実際、仏教で説かれていることと同じような話もいくつもあった。

きっと2500年前、ブッダもこれと共通するところのある、剥き出しの環境の中で悟りに至ったのだと思う。両者が辿り着いた人間への考察は、間違いなく共通するところが多い。

 

ふう、こう考えると、自分は果たしてこれからの(およそ安泰な)人生の中で、何を見て、考えることができるのだろうか。。。

 

認めたくない。こんなに弱くて、欲深く、醜い自分に絶望する。

だけど、心のどこかでこう思ってしまうのだ。

 

フランクル氏が羨ましいと。

ガキ使のブラックフェイス騒動について

最近は議論が湧きおこっているニュースに関しては情報収集をして自分の考えを持つようにしているが、そういう考えもちゃんと記録に残しておこうと思う。

 

今回はガキ使のブラックフェイス騒動について。

絶対に笑ってはいけないシリーズ、今回のテーマはアメリカンポリスだった。

問題になっているシーンは、毎年恒例となった5人それぞれがその年のテーマのコスプレをしていく序盤のシーン。

それぞれアメリカンポリスのコスプレをしていくんだけど、最後の浜田だけがエディ・マーフィ主演の映画「ビバリーヒルズ・コップ」のコスプレとして、顔面黒塗で登場。一応アメリカンポリスだけど、「浜田だけなんで黒人やねん、しかもメイク細かすぎやで。耳元までちゃんと塗られてるやん。」みたいな感じでオチが作られていた。

これに対して日本在住の黒人作家マクニールさんが厳しく反応。

 これが拡散されて議論を呼ぶこととなった。ハフポストに寄稿された記事がこちら。

www.huffingtonpost.jp

 

さらにフローレンスの駒崎氏はこれを「人権後進国」と批判。この意見にも賛否両論集まった。

www.huffingtonpost.jp

 

僕は一連の騒動を見て、上記批判がピンとこない感覚があった。

批判の論調は、

ミンストレル・ショーという黒人蔑視的なショーが1800年代に欧米であったが、これが国際的に批判されたことに端を発し、今では世界の共通認識として黒塗りはタブーとされている。

だから日本で黒塗りがされることが、いかに国際的に良くなく、また黒人を苦しめ、また日本の無知=人権後進国たるかを世界に知らしめていることになっているか。」

ということだったのだが、どうもこれがすっと入ってこない。とにかくタブーだからダメです と。なんで昔の映画の役を再現しただけで批判されるのか。

特に駒崎さんのブログはとにかく批判の言葉が厳しく、且つ話を極大化させ日本が「人権後進国だ」とまで言っており、

なんだか完全に批判の立場になりきれていない自分まで批判されたような気がしてもやもやした。

過敏すぎるんじゃない?と思った。

加えて駒崎さんは、広島の被爆者を笑いのネタにされたらどう思う?と例に挙げていたのだが、つまり黒人を被爆者と同種の、損害や障害の悲劇のもの として捉えているの?さすがにこれは論外。

黒塗りしている→人種差別だ と、こういう脊椎反射的な反応こそ、人種の“違い”を人種“差別”へと転化させ、いつまでたっても過去にあった差別をそのまま差別として残し続けてしまっているのではないかと思う。

これから新しく生まれてくる人は、人種差別があった時代ではなく、新しい時代を生きる。それなのに、過去にこういう過ちを犯したからこれは駄目なことだと、過去の過ちを基準に考えていたら、いつまでたってもその過去の過ちから逃れることができないじゃないか。

新しい時代には、新しい価値観を作っていく必要がある。

例えば、人の移動が流動的になり、国にいる人種も多様化、且つ奴隷制度のような階層社会は薄くなり、日本育ちの黒人もたくさんいる。そんな時代には、黒人の存在はごく当たり前で、肌が黒いというのも個性として当たり前に受け取られているかもしれない。

そういう新しい価値観が生まれつつある中で、黒塗りは歴史的にタブーだ!とか言われても、そんなの知らんし、逆にむしろ黒人ってそんなに庇われるべき存在なの?かわいそうなの?と思ってしまうのではないだろうか。もちろん、黒人の歴史を知ることは大切だとは思うけど。

問題を指摘した津田大介さんのツイートに対するリプ。今日が成人式らしい青年のコメントだけど、これが今の若い人の感覚だと思う。

 

 

さて、僕も今回問題となっているシーンを見た。このシーンがありかなしかで言われたら、絶対無し。不快。

黒人の友達はいないし、人種差別がいかなるものなのかは想像に及ばないけど、

浜田が登場した後、松本が「嫌やわあ、ずっとはきついわあ」という発言をした。これはひどい発言だと思った。

そもそもオチとして笑いを取ろうという姿勢がだめだし(モノマネで笑いを取ってるんじゃなくて、黒塗りで嫌そうに登場したことで笑いを取ってるから)、そのあとの松本の発言は、黒い肌の人と一緒にいることが嫌だわあ と言ってるように聞こえた。これは黒人が悲しい言葉だと受け取っても無理はないと思った。

批判すべきは絶対にこっち。オチにしたことと、「嫌やわあ」との発言。これは身体的特徴を、笑いものに、さらには嫌悪の対象としているから。

黒塗りをすること自体は、個人的には、そんなに問題かなあと思う。エディマーフィーのモノマネを顔黒く塗ってやるの、ダメ? 少し、窮屈に感じる。

だけど、津田さんの紹介していたドキュメンタリー見て思った。こういうふうに顔を黒塗りして黒人に扮すること、黒人の風貌をおもしろいと思ってしまう自分もどこかにいる気がする。(今回のでは笑ってないけど)

「僕らに差別意識ないですから!」と思ってても、これを笑いとしてなんら違和感なく見ている時点で、差別的な意識をどこかに持っていることを自覚した方がいい。

黒人は存在がオチでもないし、みんながみんなデニスとかアントニーみたいな愉快な人でもない。 

自分らと同じ人間だ。そういう気持ちを常に持って向き合う必要があるなと思った。

 

最後に…人種とか、文化の違いは、ポジティブな笑いに変換できると思う。

そういうネタが世の中に受け入れられていったら、人種差別が「人種の個性」として昇華できるのではないだろうか。

なんでもかんでもタブーにするのでなく、また、歴史を知れ!と上から否定するのでもなく(んなこと言われたって何割の人が勉強しようと思う?)、みんなが共感できる形で「これは良くないことだね」と理解を深めていくことが、結局一番の近道なんじゃないかなと思う。

先入観の少ない僕らだからこそ、vsの構図でなく、weの関係で皆が住みやすい社会を作っていけるのではないだろうか。

 

ちなみに、ベッキータイキックは、目を背けたくなるくらい嫌悪感覚えた。

ああいうのが笑いとして消費されてるのは、マジでやばい。

1年の振り返りをしてたら8000字超えた

特に12月は一瞬で過ぎ去り、2017年も残すところあと1日となってしまった。

Facebookを見ると、色んな人が1年の振り返りをしているが、僕もしようと思う。人に見せる用ではないので記録としてだらだらと残す。

 

まず1年前の今頃ってどんな感じだったかなと思い、振り返ってみたのだが、あんまり記憶がない。色んなSNSとかを振り返っても、大した記録が残っていない。

んー、多分、あんまり調子よくなかったんじゃないかなーと思う。笑

去年の夏から始めた寺子屋ブッダでのアルバイトは、普通じゃ出会うことのできないいろいろな人に会うことができたり、様々な事業が展開する中でお寺業界の最前線感を感じたりして、充実していたと思う。

お金がないのでもう一つ始めたビズリーチでのインターンも、まあ新規事業ゆえに実装されない企画が多かったけど、好きに色々やらせてもらっていた。

じゃあ何が調子よくなくさせてたかって、やっぱり自分の進路が決まってなかったことだろう。

当時を思い出すと、夏のインターンは大成功して、LINEは年明けから特別ルートでの面接がスタートする予定で、冬のインターンリクルート住まいのに参加が決まっていて、そこそこ順調だったはず。だけどやっぱり気持ちが浮かなかったのは、本当に就活するのか、もう1年休学して仏教の勉強とか寺子屋ブッダを頑張るのか、決めかねていたからだろう。

結局、とりあえずLINEは内定取っておこうと思って余裕こいてたら最終で落ちるし、住まいのインターンも散々な感じになっちゃったし、そのへんからさらに泥沼に入っていったような気がする。これが1月、2月くらい。

いい話もあった。この頃、彼女と初めての旅行で三重に行った。二人が行ったことのない県を書き出して、あみだくじで決まった三重だったけど、最高の選択だったと思えるくらい楽しかった。三重に行くなら、伊勢神宮とかだけじゃなくて、熊野古道のほうとか自然を満喫できるところに行くのがおススメです。

そんな感じで程よく彼女にうつつを抜かせながらも、あ、そうだこの頃はまだ竹田とルームシェアしてたんだった。二人で住んでいたのもはるか昔のことのように思えるけど、たぶん2月とかは、別居が決まって、冷え切った仲が再びちょっとだけ温まりつつあった頃だと思う。笑 

もう別れるってわかると、一緒に飲みに行ったり、二人の時間を大事にしようとするんだよな。って夫婦かよ。

それで、Twitterをさかのぼって自分の活動を振り返ると、やはり活動の中心は長期インターンみたい。2月末に、寺子屋ブッダでいい提案ができたらしいことを書いている。

この頃はまだインターンを頑張りたいと思っていた。就活するよりも、寺子屋ブッダでもう1年頑張ったほうが、今後の坊主キャリアにつながるかなとか、そんなことを考えていたと思う。孫正義財団にもエントリーしてたし。笑 あれは第1回だから結構通るかなと思ったんだけど、蓋を開ければガチ優秀な人が集まってて(天才小学生的なのとかもたくさん)、普通に無理だった。

そうこうしているうちにも時間は過ぎ、そろそろ決めねば!と思い、寺子屋ブッダの代表にこのままもう1年続けたいってなんとなく伝えたら「それより企業で務めたほうがいいと思うよ」ってやんわり断られる。

ああどうしようと心を決められないままずるずると時は過ぎ3月。

3月9日に「人生どうしよう」ってツイートしていて笑った。

でもそのあとに「嫌われる勇気」ってツイートしているので、まだ道から外れたがっている模様。

でもたぶん3月下旬くらいだろうな、インターンの上司や周りの人に「秦くんどうするの」とか言われるようになって、いよいよどうしようかと考え始めた。

3月末は引っ越しもした。竹田とのルームシェアから、神楽坂のシェアハウスへ。

このタイミングだったから、まだ9ヶ月くらいなんだなあ。シェアハウスでの生活が始まったのが今年のハイライトの一つでもある。

最初はお金貯めてすぐに一人暮らしを始めるはずだったけど、まあそんなに心地悪くない・・・というか結局かなり愛着がわいてしまって、いまでは帰省していても家が恋しくなるくらい。

最初は大石、千葉ちゃん、ひげ、あやの、大吉、ジェロさん、秦の6人だったのが、ごんが来て、沼さんが来て、ごんが出て、風子が来て、沼さんが出て、あやのが出て、灰田が来て、なおちゃんが来て、たまこが来て・・・今は10人になった。 

延べにしたら何百人もお客さんが来たし、色んな人に出会って、自分の中でもいろんなことを考えるきっかけになった。大学生活最後の一年間で、まあ面白い環境に身を置けたと思う。

さて、自分の話に戻って、4月。4年生になり、ついに本格的に就活を始めたのを覚えている。忘れもしない、3時間くらいは確保して、渋谷のパブリックハウスというカフェに籠城。リクナビに募集要項が掲載されている8000社のページをすべてスクリーニングして、気になる企業はタブで開いて、それを全部再確認して、なお興味があるところをスプレッドシートに落とし込んで志望企業リストを作った。

リストになったのはたぶん40社くらいだったか。過去のファイルがどっかにいっちゃったので参照できないが、それくらいだったと思う。

そっから15社くらいに絞って、ESを書き始めた。ここから本格的に就活が始まった。

んで、就活にどんどん入っていくと、やっぱり自分の世界も狭まってくるわけで。今考えると、思考が偏っていたなあと思い出すことが多々ある。自分はバランス感覚あるから大丈夫 ってやってる最中は思ってたんだけども。

一旦入り込んじゃうと、「企業ブランド的にどうだ」とか「とりあえず内定貰って余裕みせたい」とか「あいつがあんな企業に?」とか、そういう“就活世論”みたいなもんに流されて、本質を見失っていたように感じる。

まあそんな感じで4月は終わり、5月のGWは彼女と長野旅行へ。彼女の実家とかばあちゃんちとかも回ったりして、めちゃ楽しかった。あ、和尚の家も行った。最高の立地とおもてなしだった。長野好きになった。GWは遊び通して、5月中旬くらいからは徐々に本選考が始まっていった。

実際にエントリーした企業はこんな感じ。

リクルートキャリア、リクルートライフスタイル、リクルートホールディングス、パソナキャリア、博報堂ADK日経新聞野村総研博報堂プロダクツ、アビームコンサルティング

いくつかの業界のなかから興味のある企業を選んで、博報堂(生活総合研究所)が第一志望だったんだけど、まあ進めながら企業を見て行ったらいいかなというスタンスで選考を進めていった。

その中でいいなあと思ったのがアビームだった。選考を重ねるごとにアビームの企業理念とか、人とかがほかのコンサルとは一味違って、魅力的だなあと思うようになり、6月中旬くらいに内定を頂いた。

その頃には途中でやめてしまったり落ちたりで(リクルート系は6月から一気に選考進んだんだけど全部落ちた)、残すところは第一志望の博報堂のみで、かなり気合を入れていたんだけど、3次のグルディスで落ちた。周り大したことないと思ったし上手くアピールできて、手応えあったんだけど落ちちゃった。あの時はみんしゅうを見まくって、他の人が選考通過したとの書き込みをしているのに、自分はまだ可能性あると信じて待っていた。けど結局落ちてたなあ。まあ合わなかったってことで。

ついにアビームに決断。内定承諾もして、ひとまず4月から始まった就活は6月末で終わりを迎えた。

そっからはまた普段の生活。

半期の授業「イノベーションプラクティス」があったり、インターンもがんばったり、お寺業界の人に会い始めるようになった。

この頃に「ホトカミ」の吉田さんや「みんれび お坊さん便」の海野さんとかに会っている。どっちも知人に紹介してもらって。この頃から、いろいろ嬉しいご縁を頂けるようになった。

友廣さんに機会をもらって千歳のまちライブラリーの打ち合わせに参加させてもらったり(ここでは反省すべき点が多々あった。それから、個人で活躍する人ばかりの中で、自分がこれからいかにしてこういう場で価値を出せるようにするかとか考えた。この時点では、学生・北海道に友達多い ということくらいしか貢献できなかった)もした。

あとはテスト100%の授業しかとっていなかったので、試験勉強三昧な感じ。なんとか頑張って、18単位くらいとった!

そして8月になる。

実はアビームに決めてからも、なんとも決めきれず、本当にここでいいんだろうかという気持ちが付きまとっていた。わかりきらない部分があったので、3人くらい社員に合わせてもらったり、内定者ランチとか座談会とか会社が自主的に(いい会社!)やってくれているイベントに参加して、情報収集をした。

それでもやっぱり決めきれずいたときに、ビズリーチでお世話になっていた部長が、「秦くんもっと他にあるかもね、データがこれから面白いよ」とデータサイエンス系の企業を紹介してくれた。

それで、自分でも届きそうなところということで、電通デジタルと博報堂デジタルを受けることにした。

それで結局博報堂デジタルに決めたんだけど・・・

博デジに決めるまでに、本当に時間がかかったなあ。結局アビームを内定辞退したのが9月中旬。内定式の2週間前とかで、何度も通ってお話はさせてもらってたんだけど、迷惑かけた。だけど最後には僕の選択を肯定してくれて、背中を押してくれた。本当に色んな人に話も聞いたし、悩みぬいた末の決断だった。

博デジは、二次募集は1日で完結しちゃうという超コスパの良い選考だった。スピード内定だっただけに、受かってからいろいろ良くしてもらった。無理を言って会わせてもらった同期はいいやつで、一緒に頑張っていこうと思える友達になれた。

と、そんな感じで8月はお盆の帰省とかもあり、飛ぶように過ぎて、9月。

やっっっと進路も大方決まって落ち着き、自分にとって大きな転機となった、仏教青年会の合宿があった。この話の詳細は前に書いたブログに譲るとして、ここでスピーチしたこと(スピーチのために気持ちを言語化したこと)が、自分の中で一つ覚悟になったように感じる。この原稿をのちにFacebookにアップしたんだけど、とても反響があって、「ああついにここまで来たなあ」と思ったのを覚えている。

hatasan.hatenablog.com

まあ絶対お坊さんになるって決めたわけじゃないんだけど、これまで興味の幅が圧倒的に広くて、何者でもなかった自分が「お寺の人」になったことは、その後の人生においても大きな転機となるはず。

自分に一つのオリジナルの看板を掲げることによって、それから急に色んな機会をもらえるようになった。

それからちょうどこの頃、先述のイノベーションプラクティスからスピンオフして「就活とエゴと坐禅のワークショップ」を始めたりもした。これも自分にとっては大きな経験で、これまでインターンや団体で何かすることはあっても、自分が主体となって、すべての責任を背負いながら何かをやるという経験が無かった。「自分が最前線で何かをやったことがない」ということがコンプレックスだったんだけど、ここでついに腹を決めて自分でコトを起こしたのだ。これは小さいけれど、自分にとって大きな一歩だったと思っている。

さて、少し息抜き。9月20日の誕生日は、彼女と沖縄で過ごした。この旅行は自分にとってもとても印象深いものになって、今でもたまにあの楽しかった思い出に浸ったりする。

10月。何してたかなー。たぶん仏教の勉強を改めてやったり、ビズリーチでのインターンに注力したり(たしか14万くらい稼いだ)、人に会ったりしていたんだと思う。

11月は、またいろいろいい出会いがあった。たなしょうに誘ってもらったよんなな会にて、脇さんや畑中さん、ゆるスポーツの澤さんと会ったりした。この頃はもうお坊さん的な感じで紹介してもらうことが多いので、みんなそれを絡めていろいろ連携できそうなことを考えてくれる。

そのあと脇さんに誘ってもらったよんなな×OneJapanの集会では、また色んな人と話すことができた。ここでも、民間とお寺が連携して何かできるんじゃないかということは強く思ったし、同時にもっと自分に力があればなあ。早く自分の身一つで仕事ができるようになりたいと思った。自分がお寺と企業のハブになれば、めちゃくちゃ色々面白いことができると思うんだ。そういうポジションに立てるようになりたいと思った。

それからもう一つ。100バンチの加藤さんに呼んでもらって、高野山の飛鷹さんと仏教に関わる若者の会に参加させてもらったんだけど、ここでも色んなキーマンに会うことができた。

飛鷹さんは今まであったお坊さんの中で最もビジネス側の優れた視点を持ってる人で、とても刺激的だった。それから、博報堂の生活総合研究所に勤めるお坊さんにも会うことができた。しかも、そのひとがなんと僕の就活坐禅WSのことを知っており、未来の住職塾コミュニティに紹介までしてくれていたという奇跡。色々意見交換もできて、手伝ってくれるとも言ってくれて、さすがにこの日は飛び跳ねて家に帰った。

そうそう、出会いと言えばもう一つ。後期に取っていた「姿勢と健康」という授業で偶然ゲスト講師として来ていた精神科医でお坊さんの川野先生との出会いも嬉しかった。

マインドフルネスのお話をしていたのだけど、それがあまりにも面白くて、また寺子屋ブッダのマインドフルネス事業とも通ずるところがあって、思わず講義のあとに話しかけてしまった。意気投合して、そのまま寺子屋ブッダの代表に紹介することに。

この前その面会があったんだけど、それもめちゃ面白くて、ついに寺子屋ブッダにジョインしてくれることに。代表の松村さんも「今年で一番うれしい午前中になりました」と一言。これを聞けたときはめっちゃ嬉しかったなあ。

そんなこんなで、「お寺の人」になった9月から、10,11月はガっといろんな人に会ったりする機会が増えて、やっと前に進み始めた実感を得ることができた2か月だったと思う。ここで植えさせてもらった種を枯らさないためにも、止まってられないと思っている。

そして最近に至るまで。書いておきたい話は3つで、ビジネスモデルの授業の話と東北の話と彼女の話。

まずビジネスモデル仮説検証という授業。これもとても勉強になった。ビジネスモデルの組み方にはいくつかの方法があるけど、ここではプロダクトアウトの形で、仮説をもとにサービスを考えてから、リーンスタートアップ的にヒアリングを通して仮説検証を行い、ピボットしていくという手法をとった。

僕はお坊さん限定SNSというものを考えて(センセイノートから着想を得た)、SNS上でやり取りすべきお坊さんの関心ごとって何だろうというのを合計12人のお坊さんや事業者の人にヒアリングして考えていった。

知り合いのお坊さんづてで色んな人を紹介してもらってヒアリングを重ねていくと、ふわっとしていたお寺業界の輪郭がよりくっきりと見えるようになっていった。いろいろ勉強になるよい機会になった。

結果的には、授業ではかなり評価してもらってプレゼンまでさせてもらって、満足の意行くビジネスモデルになった。

本格的にやってみようかなという気持ちにもなった。

しかし、、授業後にも何人かお坊さんに話を聞いていったのだけど、んー、好きなお坊さんもいるけど、あまりいいなと思わない話も聞く。がっかりしてしまうようなことを聞くこともある。そういう現実を見ていったときに、はて、僕はお坊さん向けにサービスを提供したいのか?という根本的なモチベーションが見えなくなってしまった。

自分が決めたお寺業界で自分の影響力を大きくすることが今は一番の目的ではあるけど、本気でワクワクしないことをやってもしょうがないなと。

それで色々考えたところで、お坊さんに対して何かするというよりも、やっぱり社会に対して、仏教を通じて何かするというほうが、つまりBtoB(ボウズtoボウズ)より、BtoCのほうがやっぱりやりがいがあるし、楽しいだろうなと思い至った。

一周まわってこういう気持ちに至れたのは、ある意味仮説検証で、とりあえず一生懸命授業に取り組んで良かったなと思う。

次に東北の話。大学に入ってすぐからずっと続けてきた東北の復興支援の活動もここで一区切り。12月21日に開催したKesennuma voices6上映会の後の打ち上げで先輩や同期、先生と話していて涙が出そうになった。

東北復興支援の活動に関しては、もちろん関われてよかったとは思ってるんだけど、あまり自分がやってきたことに対して、自信が持てないというか、もっとできることはあったなという後ろ向きの思いがあった。特に意識はしてなかったのだけど。

12月21日のイベントは後輩に引き継いで無事に終了。アンケートも素晴らしい結果だった。飲みながら同期の飯田氏と一緒に眺めていて、急になんだか思いが溢れてきて。いやあ、頑張ってきたなあ、続けてきてよかったなあと、初めて自分の活動に誇りを持てたような感じがして、涙が出そうになった。

詳しくは後に書くブログに譲るんだけど、これも本当にありがたい経験だった。

最後に彼女。付き合ってついに1年がたったけど、一層彼女を大切に思うようになった。誕生日、記念日、クリスマスと、お財布のほうはやや疲弊したんだけど、全部楽しかったなあ。改めて、幸せに思う。

一層大切に思うようになったきっかけがいくつかある、、んだけど、書くのはまた今度にしよう。

 

さて、卒論並みに文字を書いてきたけれどやっと現在に戻ってきた。

今は卒論とか笑、読みたい本とか、インターンとか、仏教とか、データサイエンスの勉強とか、旅行とか、いろいろやりたいことがあって常にせわせわしている状態なんだけど、まあ、1年を振り返ると、いい一年だったなと思う。月並みだけど。たぶんみんな言ってると思うけど。笑 

自分にとってはとても重要な一年になった。そして確実に成長できた一年だったと自分を認めてあげたい。(もっとやれたけど!寝すぎ)

最後に、最近の学び。自利利他円満というけど、まずは自利を満たしてあげることが大事。

今年の目標として書初めしたのが「謙虚」と「慈悲」だったんだけど、これがどうしても、どう頑張っても実行できていなかった。自分の言動を客観的に見れば、とても謙虚だったとは言えないし、慈悲に関しても、歩くのが遅い人にイライラしたり、自分と考えの合わない人を疎ましく思ったり、全然ダメだった。

と思ってたんだけど!ついこの前、気づいた。

慈悲とかいうけど、まずは自分に慈悲の心を向けてあげないとだめじゃん!と。

そりゃ自分のできてないところは気になるし嫌になるけど、良くなったところもあるんじゃないの?と。去年と比べたら意識できるようになったじゃん、と。

そうやって心の角度を変えると、素直に自分頑張ったじゃん、と思えた。すっと肩に入っていた力が抜けたような気がして楽になった。

まずは自分のいいところを見てあげて、満たしたうえで、他者に心を向けていかないと、苦しい。

今回のブログは、一年を振り返りながら、自分のがんばったところを見つけるというのも一つの目的だった。(自画自賛的な個所が多くてすみません)

 

さて、来年はどう生きようか。残された大学生活、一日一日を丁寧に生きよう って最近思うことが多くて、ことあるごとに「これが最後の〇〇かもしれない」とか思うようになって、これがとても苦しい。最後の〇〇 とか急に思い始めるの本当にやめたい。悲しいつらい。

そしたら昨日とっても素敵な文章に出会った。

悟りといふ事は如何なる場合も平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。(正岡子規)

正岡子規が病床でつづった言葉。

「悟りとは、いつ死んでもいいということだと思ったんだけど違った。いつでも平気(乱れず平穏に)に生きていられるということだった。」

凄いなー。もちろん一日一日を噛みしめながら生きるというのはその通りだと思うんだけど、そのうえで普段と変わらない平穏な気持ちで生きていけたら、楽だなあと思った。

この言葉を胸に、4月まで平気にいきたい。


写真はじーちゃんとの2ショットをバッジにしたもの。さっき見つけた!f:id:hatamasaaki15:20171231224411j:plain


大事な人の話

最近、友達と「幸せ」について話す機会があった。その友達は自身の幸せ観についていろいろと説明してくれたのだが、僕はそれに対してなぜか何らかの言葉も返すことができなかった。というより、返そうという気持ちがあまり起きなかった。

1年くらい前までは、幸福論を説いた本を読んだり、幸せに関するイベントに参加したり、「幸せオタク」ともいえるほどに、幸せとは何なのかということに強く関心を持っていた。

そんな僕なのに、なぜかこの前の幸せの話には、心が動かなかったのだ。これはどういうことなのだろうか。

そこで改めて気持ちを整理してみた。

その結果、「幸せ」についてあれこれと考えることが、今の自分にとってはやや遠い関心ごとになっているということに気がついた。

つまりこういうことだ。

 

僕は今、めちゃくちゃ幸せなのだ。

ーーーーーーーーー

僕が今、めちゃくちゃ幸せなのには、たぶんいくつかの理由がある。いくつかあるのだが、今日はその中でも間違いなく大きな要因の一つになっていることについて、書いてみたい。

 

去年の12月11日、僕は彼女ができた。

11か月記念日である今日まで、たぶん好きの気持ちを更新し大きくし続けながら、仲良くさせてもらっている。

こういう気持ちは多分人生で初めてだ。(そもそも恋愛経験があまり多くないのだけど。)

おかげで今、めちゃくちゃ幸せなのである。

 

だけど、この前彼女を悲しませてしまった出来事があった。

なんでそんな話になったのかははっきり覚えていないけど、彼女が「私の何が好きなの?」と聞いてきた。

それに対して、僕は思うように答えられなかったのだ。

「いやあ、なんだろう、、、存在?いてくれるだけで嬉しいというか、なんというか。」

そんな曖昧な答えをした僕に対して、彼女は不安になったようだった。

僕も話していて「彼女の期待しているものに応えられていないな。」という感じがあったのだけど、僕は本当に、ただいてくれるだけで嬉しいと思っていて、それ以外の、それ以上の言葉が見つからなかったのだ。

あと、この好きの気持ちを細かく分解して一つ一つ説明するのは野暮に感じて、それもしたくなかった。

彼女と付き合う前には「好き」って何だろうと思って、好きの気持ちを要素分解して分析するツールを開発して、色んな人にアンケートして回ったりしていたのだから、えらい変わりようだと、自分でも思う。笑

ちなみに僕の5つの好き要素は、外見、抱きしめたさ、人としての成熟度、女の子らしさ、そしてピュアエネルギーである。

この基準で言うと、彼女は全部を持ち合わせていて、付き合う前はそれが見事にはまって魅力に感じて、飲みに行く仲になった。

だけど付き合った後は、そういう要素ももちろんなのだけど、もっと違う次元の感情に変わっていった感じがある。それを言葉で表現すると、「存在が好き?」みたいな感じのよくわからない表現になってしまうのだけど、そんな気持ちだ。

 

さて、今日はこの気持ちを探る一つのアプローチとして、

「この子すごいな。愛おしいな。」

と思った瞬間を、エピソード形式で三つセレクトして挙げてみるということをしたい。

 

1.中板橋の定食屋にて

中板橋に、腰の曲がったおばあちゃんが一人で切り盛りしている定食屋がある。

綺麗で洗練された場所よりも、ちょっとぼろくて雑然としていて、でも味がある場所のほうが好きな僕たちは、古い定食屋などは格好のデートスポットになる。

ここに行ったのは、4月くらいかな。中板橋は桜の名所でもあるので、夜のお花見も兼ねて、訪問した。

お店入ると、お客さんは女子大生と思しき女の子が一人。カウンターにちょこんと座って、おばあちゃんと仲良さげに話をしている。

「こういう光景も、こういうお店ならではだよね。」なんてにやにやしながら片耳で会話を聞いていたのだけど、よく聞くとなんだか話は深刻そう。悩み相談のようにも聞こえる。

僕らが注文したメニューが出てきて、食べ始めたのだけど、途中から女の子がすすり泣く声が聞こえる。もう気になってしまって、静かにご飯を食べながら、一緒に耳を澄ませて話を聞いていた。

どうやら悩みの原因は、地方から大学進学で上京してきたものの、思い描いていた大学生活とは少し違っていたこと、そして友達もあまりできず、ホームシックになっているということのようだった。

僕らもお互い上京勢だったので、気持ちはわかる。特に彼女は、自分も同じような心境だった経験があるらしく、もう気が気じゃない様子。

僕らがご飯を食べ終わっても、まだその子は帰る様子がない。なんとも言えない気持ちになりながらも会計のために席を立ち、戻ってくると、彼女が何かを書いている。

手元を隠そうとするので何を書いているのかわからなかったが、それを書き終えるとおもむろにその子のもとに駆け寄り、その紙を渡した。

すると、すでに涙でぬれているその子の顔がさらにぐしゃぐしゃになり、声を出して泣き始めた。

一瞬何が起こったのかわからなかったが、すぐに何を渡したのかがわかった。

それは、一人上京して孤独と戦う彼女へのメッセージと、自分の連絡先だった。

「私も昔同じ状況で苦しんだ経験があるので、力になりたい。いつでも頼ってね。」と。

 

こういう場面に遭遇して、何かしてあげたいと思うことはあっても、実際に行動に移すことは難しい。

それができる彼女を素直にすごいと思った。

その定食屋を出た後、二人で中板橋の川沿いを歩きながらいろいろ話したことは、今でも心に強く残っている。

 

ちなみにその後、実際に二人でランチに行って、色んな相談に乗ったらしい。

「俺も一緒に行くよ!」と言ったが、

「こういうのは、女二人で話すからいいんだよ。」と断られてしまった。

好きだ。と思った。

 

 

2.映画「怒り」を観て

彼女はめちゃくちゃ涙もろい。すぐに泣く。今まで会った人の中で、一番泣き虫だと思う。これはもう、彼氏としては、最初のうちはなかなかに戸惑わされた。

だけど最近わかってきたことは、彼女は弱虫ではないということだ。弱くて泣いちゃうというよりは、共感力が高すぎて、すぐに涙が出てきてしまうのだ。

例えば、出会って初めてデートをした日。彼女はLGBT問題に課題意識を持って活動しているのだが、その話をしているときにも、感情がこもりすぎて泣いていた。最初にそれを見たときは、なんてピュアでまっすぐなんだろうと心打たれたのを覚えている。

さて、この前、六本木で開催されていた東京国際映画祭に行った。目当ての作品は「怒り」。上映後、なんと監督と宮崎あおいトークセッションがあるというので、彼女はこの映画を見るのは三度目だったが、僕は観たことがなかったということもあり、行くことにした。

この映画については別のブログで書こうかと思うくらい色々な考えが渦巻いたのだが、彼女はというと、三度目に関わらず(案の定?)号泣していた。

同じ映画を三回観て、毎回泣けるというのは僕にとってはちょっと理解できないのだが、まあそれはそれとして、そのあとにあれこれと考えたことを議論した。

犯罪についての話になったときに、彼女が最近許せなかった事件として、元TBSの記者が女性を強姦し、女性が声を上げ話題になっている事件の話をし始めた。

僕もそのニュースのことは知っていたが、男性と女性、どっちが本当のこと言ってるのかわからないなあくらいにしか感じられていなかった。

だけどよく考えてみれば、被害者の女性が実名と顔をさらしてまで声を上げるということが、どれだけ覚悟のいるものだっただろうか。これだけ世の中に出て、彼女はこれからの人生、「被害に遭った女」として見られてしまうだろう。それをしてまで声を上げたのには、どんな思いがあったのだろうか。こういう被害に遭って、泣き寝入りする女性もきっとたくさんいるんだと思う。そういう人たちの声の代弁者として、この女性は立ち上がったのだと思う。

そんなことを話しながら、彼女はまた涙を流していた。

「世の中のこういう不条理がまかり通っているのが許せない。気持ち悪すぎる。」と。

 

だんだん彼女の涙を見慣れてきていたんだけど、僕も映画を見た後だったからか、思わずもらい泣きしそうになったし、はっとさせられた。

清らかすぎるゆえの危うさを感じながらも、素直にすごいと思った。

守らねば。と思った。

 

3.沖縄のタクシー運ちゃんとの出会い

たまに、男女問わずみんなに好かれる人がいる。彼女もそういう人種だ。別に贔屓目に見ているわけではなくて、客観的に見てもそう思う。だんだん「何書いてるんだろう俺」みたいな気持ちになってきたが、続けよう。

「同性の友達が多い人は、恋人として信頼できる。」とよく言うけど、彼女は同性の友達がめっちゃ多い。何人かその友達にも会わせてもらったりしたけど、とても信頼されているようだ。あと、後輩にもめっちゃ慕われている。

僕の友達にも何人か会ってもらったけど、みんな彼女のことが好きになる。会った後にわざわざいい子だね!とメッセージをくれることも結構ある。気づいたら紹介した友達と僕抜きで遊びに行ってたりとかもあった。

あと、これは僕からしたらあまりいいことじゃないんだけど、付き合ってる今でもめちゃくちゃモテる。色んな男たちが誘ってくるらしい。この前もその件で喧嘩した。だけど最終的にその時考えたのは、「多分自分も違うタイミングで出会ってたら、彼氏いても結局好きになってたかもなあ」と。笑

人当たりがいいし、やっぱりなにより、ピュアでまっすぐなところは本当に魅力的だと思う。

さて、そんな人ったらしの彼女の本領が発揮されたのが、僕の誕生日の時に行った沖縄旅行。

僕が諸事情あり車を運転できない身だったので、公共交通機関やタクシーを使った出会いの多い旅になった。

色んな人によくしてもらったのだけど、特に印象的だった出来事がある。

本島南部にあるガンガラーの滝という原始人の遺骨が発掘された場所に行った帰り、タクシーに乗ったときのこと。

気難しそうな運転手だったんだけど、お話していくうちに打ち解けて、人の少ないビーチとか、地元の人が愛するてんぷら屋さんとか、観光ツアーばりに色んな所に連れて行ってもらった。

しまいには、目的地に着いて別れた後に「夜また合流して行きつけのミュージックバーで飲もう!」と誘われるまでに。

ベーシストでありドラマーだというおっちゃん行きつけのミュージックバーは、愉快な店主とフレンドリーなお客さんが溢れる良い場所だった。仲間のミュージシャンも急きょ呼んで演奏してもらったり、ごはんまで奢ってもらったり、至れり尽くせりの一日だった。

 

と、ここで言いたいのも、きっと彼女じゃなかったらこんなに良くはしてくれなかっただろうなあということ。

最初はすごくぶっきらぼうで、自分だったら話しかけられてもまず適当に流していたであろうところを、彼女が丁寧に話を聞いてくれたおかげで、打ち解けることができた。

どんな人とも丁寧に接することができ、とてもフラットな目線を持っているのも、彼女の魅力の一つ。

自慢の彼女だ。

 

 

さて、見切り発車で始めた文章だったけど、そろそろ終わりにしよう。

そもそもこれを書こうと思ったのは、11月13日が彼女の誕生日だから。

いつも何か節目のタイミングでは手紙を書いているけど、今回はちょっと嗜好を変えて、ブログ目線で彼女への気持ちをつづってみた。

伝わったかな?こういうところが好きだよ。と面と向かって言うのができなかったので、色んなことを思い出しながら、自分の中で印象的だった出来事を三つ選んで書き出した。

ま、僕としても彼女のすばらしさを再確認できたので、良しとしよう^^

泣いてるかな?泣いてたら成功です。笑

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ちょっとしたサプライズとしてこの場を使わせてもらいました。もし万が一これを読んでいる彼女以外の方がいたら、あーノロケてんな。と思って暖かい目で見てやってください。

 

終わり

 

秦正顕、23年の半生を語る

先日、全国仏教青年会連合主催のイベントが開催されました。

仏教青年会は、全国にある仏教に関心のある若者が集う組織で、

全国の大学に組織があり、早稲田大学仏教青年会は1890年代に創立されています。100年以上も前からあるわけですから、とても歴史のある組織です。

今回はその全国の仏教青年会が一堂に会し、合宿をやるということで、僕も早稲田大学支部からの参加者として行ってきました。

かもたまたま運よく早稲田大学代表としてスピーチする機会を頂きまして、自分の考えていることを、整理もかねて発表してきました。

このスピーチが、自分の考えていることというか、「秦正顕、23年間の半生を語る」みたいな雰囲気になったので、

ここまでの人生、うようようようようよ曲折を経てこういうところに辿り着きました というご報告ということで、原稿をそのまま掲載してみます。

 

以下、原稿です。

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仏教青年会早稲田大学代表スピーチ

 

テーマ:仏教現代社

 

はじめまして。早稲田大学社会科学部4年の秦正顕と申します。

今回、このような貴重な場で自分の考えを述べさせて頂く機会を頂き、大変光栄に思います。

私は、札幌にある浄土真宗のお寺に、長男として生まれました。

今は父が住職として、ほぼ一人でお寺を守っている状況で、私もお盆のときだけは帰省してお盆参りを手伝っています。

今年のお盆も、帰省してお参りを手伝っていたのですが、そこである檀家さんにこんなことを言われました。

 

「大学4年かい。じゃあ、来年はお寺に戻ってきてくれるんだね?期待してるよ。」と。

 

この言葉が、今回のスピーチの出発点です。

檀家さんはいったい私に、何を期待して下さっているのでしょうか?



今回お話するテーマは、「お坊さんって何のためにいるのだろうか」ということです。

 

実家を継ぐか継がないか。大学4年間を通して悶々と考え、ようやく「お寺を継いでお坊さんをやってみよう。」という決断に至った私が、お坊さんの存在意義について考えたことを、お話していきたいと思います。



私はお寺に長男として生まれ、「お寺の跡継ぎ」として、親族や檀家さんから大きな期待を全身に浴びながら、育てられてきました。毎朝お朝事をしたり、お寺のお手伝いをしたり、仏教には小さなころから慣れ親しんできました。

そんな私が当時思っていたこと。それは

仏教よくわかんない。お寺継ぎたくない。」

ということでした。

敷かれたレールに乗りたくない。加えてそのレールの先にあるものの価値がよくわからない。自分の人生は自分で切り開きたい。そんな風に考えていました。

 

祖父母の期待は大きかったですが、その一方で、父は「お前が一番やりたいことをやればいい。レールなんてないよ。」と、私の意思を尊重してのびのびと育ててくれ、ありがたいことに、浪人をしてまで早稲田大学に行くという選択を許してくれました。

晴れて早稲田大学に入学した私は、「お寺を継がないだけの、やりたいことを見つけよう!」という思いで、仏教とは少し距離を置いて、様々なことにチャレンジし、積極的な大学生活を送ってきました。

 

そうして大学4年になり、今ここに立っています。



大学生活では本当にいろいろなことを経験させていただきました。だけど、その中で本当に自分がやりたい!と感じられることが見つからなかったんです。

そこで、就活を意識し始めたタイミングで、今まで無意識に遠ざけていた仏教を改めて勉強してみることにしました。

 

すると、昔は全くピンとこなかったいくつかの教えが、ありありと生き物のように自分の中にすっと入ってきたのです。

「逢仏殺仏って、あの時に感じた考えと同じことを言ってるじゃん。」

愛別離苦、振られたばかりの今聞くと、とてもしみる。」

「あぁ、他力本願ってそういうことか。」この教えは就活の時大きな支えになりました。

 

仏教で説かれている人間の本質は、今でも全く変わらないのだ。」

 

と、20年余り生きて、たくさんのことを経験して、自分の精神がある程度成熟してきて、そうして初めて仏教のすばらしさというか、先人たちの偉大さというか、そういう畏敬の念がわいてきたのです。

仏教って凄い!この教えは間違いなく今の人にも伝わるはずだ!と、その時初めて思うようになりました。

 

正直、今の日本では、無宗教を標榜する人も多く、仏教徒と呼べる人はあまり多くないと思います。だけど、きっと仏教の教えを知っていたら、心が軽くなったり、救われたりする人もまだまだいるのではないでしょうか。

仏教の持つ力が十分に発揮されていないような気がしています。



「人々の心の支えとなるものとして、仏教を今よりもっと身近な存在にしていきたい。」

これが僕の目標になりました。

仏教の教えが必要なタイミングはきっとそれぞれあると思いますが、そのタイミングが来た時に、すっと仏教の教えを手に取ってもらえるように、もっと人々のそばに仏教、そしてお寺を近づけていけないかと考えるようになりました。

 

それをやるには、まずは自分が心から仏教の教えに共感することからです。

僕自身、少しずつ仏教の良さはわかってきたものの、まだ、なくてはならない存在にはなっていないような感覚があります。

普通に生活していても、何かにすがりたいほどに苦しいという場面はそう起こりません。大学生活、楽しいことばかりです。(笑)

教えの本質を心から実感し、それを自分の言葉でもって語れるようになって、初めて伝えられるものがあるのではないだろうか。

そう考えて、大学卒業後は一般企業に就職し、社会人になろうと思っています。そこで社会の荒波に揉まれながら、色んな壁にぶつかりながら頑張りたいと思っています。そしたら、また新たに今まで感じられていなかったこと、あるいは見えていなかったことが見えてくるような気がしています。

そうして仏教の教えが体に染み込んで、単なる引用でなく、自分の言葉で仏教を語れるようになったときに、お坊さんとして実家に戻ろうかなと思っています。

これが自分なりに辿り着いた、理想のお坊さんへの道です。

 

しかしです。

冒頭に紹介した、檀家さんからの言葉に戻ります。

「大学4年かい。じゃあ来年は戻ってきてくれるんだね?」

 

この言葉は、おそらくお寺に戻ってきて、しっかり「先祖供養」をしてほしいという趣旨の言葉だったのだと思うのですが、、。

確かに僕が来年大学を卒業してすぐにお寺に戻ったとしても、お参りもできるし、葬儀の役僧もできると思います。先祖供養という面では、檀家さんからの期待に応えられると思います。

 

だけど、裏を返せばそれ以上のものは期待されていないのではないか。と、

自分が決めた、社会の荒波に揉まれながら仏教の教えを理解し伝えられるようになる というこれからの目標は、檀家さんにとっては別に必要とされていないのではないか。と、

そう感じてしまったのです。

 

今の日本のお寺では、お坊さんは「先祖供養のためのお経を唱える人」。そんな「職業」のようになってしまっているような気がします。

 

当然先祖供養も大切ですが、だけどお坊さんの存在意義とは、それだけじゃない気がするんです。

人々の悩みや苦しみを一緒に考えて、その人自身が自分で悩みを解決する手助けをする。正しく生きるための心の拠り所を提案する。そんな役割がお坊さんにはあると思います。

そして今の社会には、間違いなくそういった役割が必要だと思っています。



最後に、これからのお坊さんの在り方について考えてみます。

供養のときにしか人々に求められなくなってしまった日本のお寺が、再び価値を見出され、人々の心の拠り所となるためには、何が必要でしょうか。

まずはお坊さん一人一人が教えを丁寧に伝えていくことではないかと思います。だけどそれだけでも足りないと思います。

今の社会がどうなっていて、今の人が何を考えて、どんな暮らしをし、どんなことに困っているのか。これをしっかりと自分の目で見に行って、そのうえで、伝え方を考えていくこと。これが大切なんだと思います。

インターネットを通してお坊さんへお悩み相談ができる「hasunoha」というサイトがありますが、このようにインターネットを駆使して人々にアプローチするといった、新しい伝え方も必要だと思います。

あるいは、僧侶が運営する坊主バーというものが全国に4店舗ありますが、これも僧侶がより多くの人との接点を持つためにはどうすればいいのか と考えた末に始めた活動だそうです。

寺子屋ブッダという団体は、お寺とヨガの先生や音楽家などを引き合わせ、お寺でイベントを開催するプラットフォームを作っています。

今述べたのは私の好きな団体ですが、このように、お寺を積極的に社会に開いて、先祖供養の時以外の接点をもっと多く作っていく必要があると思います。

 

親鸞聖人がそうであったように、今生きている時代を顧みて、その時代に合わせて仏教を0.1ミリでもアップデートしていく、そういった姿勢が大切なのではないでしょうか。

 

私は来年から、広告代理店のデジタル部門に就職する予定ですが、そこでインターネットを使った新しい広告の仕組みなどを理解し、その領域の専門家としての知識を得て、仏教を知ってもらう活動に還元できたらいいなと考えています。

 

まだまだ仏教についての勉強も浅いですし、考えも粗削りですが、ここで同志と呼べるような仲間を作って、一緒にこれからの仏教を盛り上げていけたらいいなと思っています。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

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ちなみに、後日佛教タイムスの表紙を飾りました。笑

 

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