読書会にて

【秦と竹田家の読書会】

と題して、ルームメイト竹田と読書会を始めました。

目的としては、
・短時間で多くの本の知識を共有できる機会
・普通にしていたらまず読むことのないだろう本との出会い
・自分の中で完結していた解釈から、外の視点が入って新しい発見を得ること
・友達づくり
てな感じです。

今日は第二回でした。
紹介された本はこんな感じ
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「暇と退屈の倫理学國分功一郎
「暗号解読」サイモン・シン
「からっぽ」アンディ・プティコム
「重力ピエロ」伊坂幸太郎
「普通がいいという病」泉谷閑示
「黒猫の遊歩あるいは美学講義」森晶麿
「夜と霧」ビクトール・E・フランクル
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八時から始めて、あっという間に時間は過ぎ、気づいたら終電の時間になっていました。アカデミックな学びはもちろんのこと、人生について語り合う時間もあったりして、とてもいい感じの会になっています笑
飲み会でわちゃわちゃやるのもいいけど、こうしてじっくりと様々なテーマについて語り合うのも楽しいなぁと思います。

本を媒介として色々話をしていると、その人の性格や思想、興味関心が見えてきて、自然とその人に対する理解が深まっていきます。相手のことを知って仲良くなるアプローチとしては、凄く良いなあと思いました。そこでできた繋がりは、普通の飲み会とかでできるものよりも強固なもので、また話したい、何かして遊びたいと思う気持ちが強い気がします。

 

さて、今日は色々なことを感じたのですが、もう明け方に近いので笑、特に印象が強かったことを書き残しておきます。

 

*場を良くするために言いたいのか、相手のために言いたいのか、単に自分が言いたいのか

読書会は、6~8人で開催されるので、一人あたりが話す時間が当然ながら少なくなります。ふっと考えが浮かんで話そうと思っても、先に他の人が話し始めたり、一対一で話している時のように自由に話すことはできません。これはもどかしいことなのですが、意外に結構いい効果もあるなあと感じます。というのも、ふっと自分が思い浮かんで言おうと思ったことについて、一度自分の中に飲み込んで吟味することができるからです。言いたいことを飲み込んだまま、さらに会話を聞いていくと、「あ、さっきのタイミングであれ言うのはちょっとずれてたな。」と思うことが結構あったりします。

そういうときに、あれ、これって本当に相手のためを思って言おうと思ったことだったのかな? 実は自分が言って満足したいために言おうとしたんじゃないかな。 と思ったりするわけです。

人と会話するとき、特に悩み相談だったり、もやもやしていることを聞くときには、第一に相手のためを思って発言をしたほうが良いと思うのですが、どうしても我が出てきてしまうことがあると思います。自分の体験からこうしたほうが良いよとか言うのって、たぶん掘り下げると自己満になっている気がします。

その人の本当の意図はどういうことで、何をいうのが適切なのかということを、じっくり考えて、バランス感覚を保って話をしたいなあと思いました。

読書会の内容とは関係ないけど、そんなことを考えました。