shiawase2.0シンポジウム

久々の投稿。

今日は慶応SDM前野教授が中心になって企画された、幸せについて考えるシンポジウムに参加してきた。

最近目の前の忙しさに流されてゆっくり考えたり見つめ直したりする時間がなくなっていた。今回久しぶりに丸一日こういうシンポジウムに参加して、色んな人の話をきっかけにいろんな事を思い出したり新しく考えたりすることができたので、メモしておく。

 

・幸せも時代によって移り変わっていく?

僕は以前から幸せについて考えていたのだけど、そのきっかけになったのが「日本人の幸福度は、戦後から現在までほとんど変わっていない」というデータ。これを見て、発展によって幸せになっていないのなら今の時代はどこに向かっているのか。まず人間が幸せになる方向に向かうべきではないかと強く感じていた。

今日は一つ新しい発見をした。それは、「幸せ」というものの捉え方も、時代で変遷していっているのではないかということ。

平たく言えば、昔の人の幸せと、今の人の幸せって違うんじゃないかと。

これは共有の時間で隣のおじさんと話していて思ったのだけど、この人が「最近になって自分の信じていた幸せ・価値観とは違った新しいものが目に入るようになってきて、困惑している。自分がやってきたことは本当の幸せじゃなかったのかねえ。」とぼやいていた。

僕はこれを聞いて、ふわっと見方が広がったような感じがした。昔と今では状況が全く異なるし、人間の暮らしもどんどん高次化している。それに伴い人間の幸福も高いところに求められるようになってきているのではないかと。僕は最近、人間の全ての営みを欲で説明することの可能性を探っているのだけど、その理論によれば、欲がどんどん高次化すると同時に、幸せもどんどん高次化しているのではないかということだ。

マズロー欲求階層理論で考えればわかりやすい。一番下の生存欲求が当たり前に満たされるようになって、欲の階層がどんどん上がっていって、今は自己実現の欲レベルがスタンダード化している時代だと思う。

この考え方で言うと、昔生きるのに一生懸命だった時代では、生活が満たされることが出発点で、そこが豪華になることこそ、一般的な幸福だったんじゃないかと。

一方で現代は、生活は基本的には満たされているので、いかにして自己実現を果たしていくか、そういうことがスタンダードな方向性になっている気がする。

というわけで、一概に幸福度が横ばいだと言っても、それは単純な上下の話ではなく、そもそも別の次元の軸になりつつあるんだなと、今日初めて感じた。

 

さて、今回のシンポジウムは「shiawase2.0」新しい幸せのカタチをみんなで考えようということだった。前野先生も、幸せがそもそも変化していっていると感じているのだろう。

地位財的幸せから新しい幸せへと。

「自分で勝ち取るんだ!」というものから「みんなで共創していく」もの

というのが一つ出ていたけど、それもあると思う。「幸せとは」を一概にまとめて語ることはできないけど、みんなで幸せとは を考えていくことは価値があると思った。

 

 

・講演会とは

講演会というものについて考えたこと。

講演会って、内容だけを目的にするのなら、コスパが悪いし行く意味無いと思う。最近だと多くのイベントで書き起こし記事が出ているし、その講演者の考えはたくさんのメディアで記事になっている事が多い。さらに今日は動画配信もされていた。こうしたメディアから、講演会の内容は簡単に入手できるようになったからだ。

 

さて、僕は昔は講演会にもよく参加していたのだけど、最近はあまり参加しなくなっていた。その理由は上記の通りで、講演内容は記事を読んだり動画で見たほうが時間の節約になるから。でも今日ひさしぶりにこういうのに参加して、感じたものがある。

よく、映画はメディアの王様と呼ばれることがある。これは、見る人の自由を奪い、ある意味強制的に二時間とかの間作品を見させる仕組みになっているから。

昨今スマホから莫大な情報を手に入れるようになった私達は、細切れにされた、短時間で得られる情報に慣れきっている。SNSやニュース記事、YouTubeの動画などだ。こうしたコンテンツは膨大な供給量があるため、ちょっとでも飽きられたらすぐに捨てられる。こうしてインスタントな情報にどっぷりと浸かった私達は、どんどん長いコンテンツに対して集中力を向けることが難しくなっていると言われる。

そんな中でも、映画はみっちり2時間、否応なしに客にコンテンツを見させることができる。これが、映画がメディアの王様と呼ばれる所以だ。

さて、つまりは講演会も映画と似た性質を持っている。強制力は弱まるが、一定時間その場に拘束し、聞かせる状態を作り出す。

今日講演会を聞いていて、普段からノンリニア(細切れのコンテンツ)に慣れ親しんでいる僕は、ややじれったいという感情を覚えた。早くもっとおもしろい話をしてくれと。でも講演者はとっても興味がある人達なので、じっくり聞く姿勢を作ってスマホなど触らずに話を聞いていた。

そうしてじっと聞いていると、彼らの言葉の端々から、これまで自分が考えてきたことや昔経験した大切な記憶などが想起されたり、もちろん新しい発見もあるし、そうしたものをゆっくりと自分の中でぐるぐると回して、吸収していくことができた感覚があった。

冒頭にも書いたけど、最近いそがしくてあまりゆっくり考える時間がなかったので、こうして時間を取ってゆっくり考えることができたというのはとても貴重だった。講演でのお話の中から色んな断片を貰い、じっくり時間をとって頭の中を膨らませるということの大切さを感じた。

 

だらだら長くなったが、纏めると、講演とは、話を聞くこと30%、自分で考える時間になること70%くらいの配分で、考えるということに価値があると思う。

 

ただ話を聴いて勉強になって満足していた自分と比べて、成長したなあと感じた瞬間でもあった。

 

なので、これからも忙しいときこそ講演会のような場に足を運んでいこうと思った。