やりたい型とありたい型
Facebookの保存機能をよく使います。
「おっ、面白そう」と思って、今すぐには読めないけど、あとで読むために保存するやつです。
それで保存するのですが、保存しても全然読みません。山のように溜まっていきます。
今日は久しぶりに何も予定がないので、夜更かししています。
Facebookの保存記事を一気読みしていました。
ざーーーっと記事を読んでいると、一体何で保存したかわからなくなってしまった記事もあります。
これもその一つ。
何の記事だったかもうわからないけど、とても良い記事(というか未来の俺が書いた?)と思うくらいなんか親近感の湧く記事でした。
端的に言えば、「「君は何がしたいんだい。目標は何?」と聞かれるの苦しいですよね。幸せでいられればそれでいいんですけど・・・。」というお話。
人には目標を持ってそこに近づいていくことを幸せに感じる、いわば山登りをしているような「やりたい型」、
それと、やりたいことなんてないけどただ幸せでいたいという、自分の持つ幸せ度に対していまどれくらい満たされているかという価値観を大切にする「ありたい型」
この二種類があると述べられています。
後者にとっては、ありたい姿であれるかが重要なのであって、何かやりたいことがあるわけではないということでした。
とっても面白かったのですが、一つ自分の考えを付け加えたい。
この記事内では両者を明確に区別し捉えているけど、僕はこのように人間がタイプで別れるとかはないと思っています。つまり、根源的な部分では、みんな同じなのではないかということです。
僕は、みんな「ありたい自分」という自分起点の根源欲求があって、そこから自分全体が形成されていくんだと思っています。
どれだけ天性の「やりたいこと」があるように見える人でも、そのもっと根源の部分には「ありたい自分」がいるのではないかと。
そこから先の、「ありたい自分」を自分との対話を通じて理解していくことで、自分の「やりたいこと」を見つけられるようになる というのは記事に同意です。
まずは自分の根源欲求なんだっけ?を見つけることかなあと思いました。
たぶんそれって思っているより美しいものじゃなかったりすることが多い(と思っている)ので、目を背けたり避けたくなるものですが、
それを本当に理解できたとき「自分の幸せ」が近づいてくるんじゃないかな~と思います。