ホームレス問題の原因と現状の整理 リディラバのスタディツアーに参加してきた。

先週の土曜日にリディラバという団体が主催するホームレスツアーに参加してきました。

 

昔から、ホームレスには怖い印象があり、解決すべき問題だなあと思っていたのですが、

「あれ、そもそもホームレスってなんで存在するの?」

という、素朴な疑問がありました。生活保護があって、国民の権利として最低限の生活は保証されているはずなのに、どうして路上生活で生活に困窮してしまう人が出てきてしまうのだろうというのが疑問でした。

 

今回たまたまリディラバがツアーを実施していることを知り、いい機会だと思い参加してきました。

 

ツアーはホームレス支援の団体や元ホームレスだった人にお話を聞いたり、炊き出しの現場を見学させて頂いたり、盛りだくさんの内容でした。

これまで知らなかったことがたくさんわかり、

問題に対しての認識が「なんで解決できないんだろう」から、「だから解決が難しいのか」に変わりました。

驚くようなお話も多々ありました。

 

ここからわかったことをまとめていきます。

 

まず、大きな問題は2つあると思いました。

一つ目は、「ホームレスになっている人は、とても弱い」ということ。

確実なデータではないですが、ホームレスの方のおよそ7割は、精神的あるいは身体的に障害を抱えているのだそうです。統合失調症自閉症などです。ホームレスだから働けないのではなく、働けないからホームレスになっているということです。

二つ目は、生活保護にも受給条件があるということ。

生活保護は、自治体の予算から出費されるそうです。つまり、生活保護者が多ければ多いほどその自治体の予算からの出費が多くなるということ。片っ端から保護というわけにはいかないようです。

そりゃ自治体からすれば、住所不定無職の人を自分の区で保護する理由が無いですから、水際でたらい回しにされてしまうわけです。

 

まず、私が考えていた「生活保護なんで貰わないの?貰えなかったとしても、今の世の中バイトだってたくさんあるし、なんで自活できないの?」という楽観的考えは打ち砕かれました。

 

じゃあ路上生活者は一生路上生活を抜け出すことができないじゃないか!

 

と思いましたが、さすがにそういうわけでもないみたいです。

 

一般的な不動産は住所不定無職の人には家を賃貸してくれません。そうして不動産と契約できない人の受け皿となっているのが“ドヤ”という場所。これは、誰でも入居可能な日雇い労働者のための簡易寮のようなものです。

ここは誰でも入居可能で且つ住まいとしても認められるので、ここに住んでいればだいたい生活保護を受給することができるそうです。

 

おお、じゃあこれで全てのホームレスの人が救われるはずだ!

 

と、そういうわけにもいかないらしく。

 

ドヤは確かに誰でも入居可能で、安価な住まいではあるのですが、なにせ環境が劣悪なことが多いそう。大部屋に20人とか、普通にあるらしい。

僕は今シェアハウスをしていますが、気心知れた人達との共同生活ならまだしも、見知らぬ人達、しかも元路上生活者が多く、中には人間的に問題のある人いる中での共同生活はなかなかのストレスでしょう。

ドヤに住んで生活保護を貰えたは良いものの、その後待っているのは嫌がらせや人間関係のトラブル。さらに一部のドヤは、ヤクザなどと繋がっており、貧困ビジネスの温床になっていることも多いのだとか。もらったお金が、食費や維持費なんかだとかで、どんどん吸い上げられてしまう。

ドヤに一定期間住んだ人は、“褒美”として行政が普通の賃貸を紹介してくれるのだそうで、晴れて生活保護でひとり暮らし、いわば最低限度の生活を送ることができるようになるわけですが、

そこまでドヤに住み続けられる人はあまり多くないのだそう。

結局路上のほうがずっと自由で楽で暮らしやすいということで、逃げ出してしまうんだそうです。

 

だから、路上生活者のほとんどは、一度はドヤに住んだ事があるらしいです。

今は、自分で“選択”して、路上で生活しているということです。

 

ちなみに、一度ドヤから逃げ出し生活保護受給を放棄したと見なされると“失踪廃止”の印を押され、再び生活保護を受給することが難しくなってしまうそうです。

 

ツアーでお話を聞いた「べてぶくろ」さんは、ホームレスの居場所づくりを行う団体ですが、このドヤの問題がホームレス問題の根幹だと考え、“ハウスファースト”の考えのもと、まずひとり暮らしの住まいを提供するところから始めるという試みを行っています。失踪廃止の印がついた方と一緒に役所に赴き、受給の交渉をするこということもやっているみたいです。

 

 

さて、なかなか問題が複雑になってきました。

様々な要因が絡み合って、がんじがらめです。

 

もう一度整理しましょう。

 ①路上生活者の約7割は、何らかの障害を抱えており自活が難しい状況にある。加えて小さい頃から十分な教育を受けられていないなど、そもそも生まれ持った環境が恵まれなかったという人も多い。

②住所不定無職では、基本的には基準を満たせず生活保護は支給されない。なぜなら生活保護は自治体の予算から出されるものであり、受給者が増えるほど財政は圧迫されていくから。できるだけ他の自治体に流そうとする。

③日雇いで稼いでお金を持っていたとしても、路上生活者が不動産と契約し住まいを獲得することは極めて難しい。

④ドヤという日雇い労働者のための寮は、空きがあれば誰でも住むことは可能。そこに住んでいれば生活保護も貰うことができる。

⑤しかしそのドヤの環境は劣悪で、すぐに逃げ出し路上に戻ってしまう人も多い。

⑥一度ドヤから逃げて生活保護を放棄したと見なされると「失踪廃止」の印が押され、再び生活保護を受給したくても難しい。

⑦晴れて路上生活に出戻りする。

 

というのが大きな流れとしてあります。

 

実際に路上生活者の方に話を聞いたり、支援を行う人に話を聞いてみましたが、問題が非常に複雑で、これを解決したらまた新たに問題が生じるといった、何本もの糸が複雑に絡み合っているような状態だと思いました。

 

 

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どうしたら良いんでしょうかね。

ツアーに参加した日は、本当にどうしたらいいのかわかりませんでした。こうして文章を書いている今も、どうしたらいいのか全くわかりません。

生活保護の受給基準を下げればいいのではないかとも思いますが、大阪西成地区を見ればわかるように、とても成功しているとは言えないでしょう。西成地区は保護支給の基準が低く、生活保護受給者が市の人口の1/4を占めています。ですが中には基準が甘いが故、働けるのに不正受給している人も多くいるといいます。

確かに、生活保護や炊き出しなどの民間の支援によってある程度満足な生活を得られるすれば、もう働くなくても良いやと思ってしまう人が出てくることは自然なことだと思います。

池袋でも炊き出しやおにぎりの支給など、なかなか手厚いホームレス支援が行われていますが、「だからホームレスはホームレスのままなんだよ。甘やかすな。」と考えることもできてしまいます。

どうやらただ単に救いの手を差し伸べるだけでは、問題は解決できなさそうです。 

 

本当に自力では生活できない人がいる一方で、怠惰な人やずる賢い人など、路上生活者の中にも多様な人が存在しています。

そうした人を一括りにホームレスと捉えて包括的な対策を行っても、トコロテン式に別の問題が発生して、問題の解決にはなりません。

 

僕はこれにどう関われば良いのでしょうか。

わからない。

こんな現状があると知ってしまって、いまとっても気持ち悪いです。

これまでのように、社会は明るいとニコニコ笑っては生きていけないです。

「日本の幸福度あげたい」ってよく言ってたのですが、そんなふわふわしたこともう絶対言えない。

 

 

ここにきて、ベーシックインカムの可能性を改めて感じたりしています。

 

 

何らかの結論を述べることが難しいので、ブログの綴じ方がわからないですが、これからもっと勉強して、何らか自分なりの落とし所(解決策なのか、自分なりの解釈なのかわかりませんが)をみつけたらまた追記したいと思います。