福島で復興支援に関わっていたお坊さんの話

まただいぶ久しぶりの投稿になってしまった。書くべきネタはたぶん最も多い3か月であっただろうに、またさぼってしまった。この間に感じたことは、遅くなってもちょっとずつ書き残しておきたい。

 

さて、今回は仏教青年会合宿での話。

福島で復興支援に関わっていた、久間泰弘さんという曹洞宗のお坊さんのご講演があった。

この方の言葉には、魂が宿っているように感じ、大変感銘を受けたので書き残しておく。

 

僕も大学に入ってから東日本大震災の復興支援には、「同じ日本人として、何かしなきゃいけない。何かできることがあるはずだ。」という思いで自分のできる範囲で関わってきた。

久間さんは、福島は伊達のお坊さん。6年半、復興支援に関わってきて感じたことをお話してくれた。

この方は「宗教者として、被災者の方々の手助けをしなければならない。」という思いで精力的に活動を進めてきたという。

お話の中の随所で、宗教者として活動しているということを強調していた。

“宗教者として”できる支援と、“一日本人として”できる支援、何が違うのだろうか。ここがとても気になった。ここに、お坊さんの存在の本質があるのではないかなと思い、じっくりと話を聞いていた。

 

それで、結論から言えば、たぶん、ある一点を除いては、何も違わないんだ と思う。

「宗教者と一般の人の支援、なにが違うんでしょう?」と質問したら、「わきまえること。待てることだと思う。」とおっしゃっていた。

ん、ピンとこない、。

仏教の教えを実践できるのがお坊さんである。慈悲の心を持って接するとは、こちら側から支援の手を差し伸べるのでなく、ゆっくり待って、そうして見せてくれた何かに対して、脇から支えてあげることだ。寄り添うことは難しいけれど、できる限り支えになってあげることが、慈悲の心なんだと思う。」と。

んー。

当然お坊さんは仏教の教えをもとに人と向き合う。だけどそれは、「相手のことを考えて、本当にその人のためになることをしようとする」ということにおいては、誰がやろうと変わらない。お坊さんだから特別できることなんてないし、そこにあるのは「1人の人間として、何ができるか」ということだけだと思った。宗教者であっても、一般の人であっても、何も変わらないはずだ。

ではお坊さんの存在意義って何なのだろう。

さらに話を進めて、一つだけ見つけた。

久間さんは、復興支援活動をしていく中で、自らも疲弊し、不眠症に悩まされたことがあったそうだ。自分はいったい何のためにいるのだろう と自分の無力さを痛感し、心を病んだそうだ。

お坊さんは、お坊さんであるが故、宗教者であるが故、何かしなければいけないという使命感が人一倍強い。僕がボランティア活動をしていた時は「自分がまずちゃんと生活をしていける上で、溢れた余力を被災地のために使おう」という思いで活動していたが、お坊さんはそんな余裕のあることを言いにくい立場にある。世の中からの期待もあるだろうし、本人からしても「ここで力を発揮できなければ、どこに自分の存在価値があるのか」という気持ちになるのだと思う。

ここで何もできないと感じること=アイデンティティの危機に繋がるのだ。

久間さんも、このアイデンティティの危機によって心を病んでしまったようである。ほかにも同じような思いを抱えてしまうお坊さんは少なくなかったようだ。

だけど久間さんはそこから立ち上がった。

「このとき、仏教の教えに立ち戻らせて頂いた。そして改めて仏教の教えが自分の支えてくれた。」と。

続けてこう話してくれた。

「自分はまだまだとうてい悟りの境地とは程遠い。てんでダメな仏教徒である。だけど、一仏教徒として、この場に向きあわせて頂いているということも、お導き、一つの修行なんだ。私は誰かを救う立場ではない。同じように苦しみを抱えるものとして、一緒に歩んでいく立場であるのだ」と、そう思えるようになったという。

凄いと思った。お坊さんであることの意義とは、そういうことなのではないかと思った。お坊さんの強さを思い知った。

お坊さんをお坊さんたらしめるもの。それは強烈なアイデンティティ意識と、それを支える仏教の心なんだと思った。

仏様の教えを身にやつし、強い使命感を持って世の中の苦しみに向き合う。そしてそれを支えるのが、「悟りを目指す修行の身である」という揺るがない軸。

これがある限り、お坊さんは絶対にブレない、折れない。

強い。とても強い。

この純然たる強さこそ、お坊さんがお坊さんである理由なのではないだろうか。

 

久間さんの目、そして語られる言葉からは、ブレることのない確かな強さが感じられた。

苦しみの現場に入って、厳しく自分に向き合ったからこそ、見えるものがあるんだろうなと思った。

 

 

お坊さんの存在意義ってなんだろう。全然わからなくなっている現代において、久間さんは明確に輝きを放つ人だった。

 僕の中でも、一人のロールモデルとなる人になった。