秦正顕、23年の半生を語る

先日、全国仏教青年会連合主催のイベントが開催されました。

仏教青年会は、全国にある仏教に関心のある若者が集う組織で、

全国の大学に組織があり、早稲田大学仏教青年会は1890年代に創立されています。100年以上も前からあるわけですから、とても歴史のある組織です。

今回はその全国の仏教青年会が一堂に会し、合宿をやるということで、僕も早稲田大学支部からの参加者として行ってきました。

かもたまたま運よく早稲田大学代表としてスピーチする機会を頂きまして、自分の考えていることを、整理もかねて発表してきました。

このスピーチが、自分の考えていることというか、「秦正顕、23年間の半生を語る」みたいな雰囲気になったので、

ここまでの人生、うようようようようよ曲折を経てこういうところに辿り着きました というご報告ということで、原稿をそのまま掲載してみます。

 

以下、原稿です。

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仏教青年会早稲田大学代表スピーチ

 

テーマ:仏教現代社

 

はじめまして。早稲田大学社会科学部4年の秦正顕と申します。

今回、このような貴重な場で自分の考えを述べさせて頂く機会を頂き、大変光栄に思います。

私は、札幌にある浄土真宗のお寺に、長男として生まれました。

今は父が住職として、ほぼ一人でお寺を守っている状況で、私もお盆のときだけは帰省してお盆参りを手伝っています。

今年のお盆も、帰省してお参りを手伝っていたのですが、そこである檀家さんにこんなことを言われました。

 

「大学4年かい。じゃあ、来年はお寺に戻ってきてくれるんだね?期待してるよ。」と。

 

この言葉が、今回のスピーチの出発点です。

檀家さんはいったい私に、何を期待して下さっているのでしょうか?



今回お話するテーマは、「お坊さんって何のためにいるのだろうか」ということです。

 

実家を継ぐか継がないか。大学4年間を通して悶々と考え、ようやく「お寺を継いでお坊さんをやってみよう。」という決断に至った私が、お坊さんの存在意義について考えたことを、お話していきたいと思います。



私はお寺に長男として生まれ、「お寺の跡継ぎ」として、親族や檀家さんから大きな期待を全身に浴びながら、育てられてきました。毎朝お朝事をしたり、お寺のお手伝いをしたり、仏教には小さなころから慣れ親しんできました。

そんな私が当時思っていたこと。それは

仏教よくわかんない。お寺継ぎたくない。」

ということでした。

敷かれたレールに乗りたくない。加えてそのレールの先にあるものの価値がよくわからない。自分の人生は自分で切り開きたい。そんな風に考えていました。

 

祖父母の期待は大きかったですが、その一方で、父は「お前が一番やりたいことをやればいい。レールなんてないよ。」と、私の意思を尊重してのびのびと育ててくれ、ありがたいことに、浪人をしてまで早稲田大学に行くという選択を許してくれました。

晴れて早稲田大学に入学した私は、「お寺を継がないだけの、やりたいことを見つけよう!」という思いで、仏教とは少し距離を置いて、様々なことにチャレンジし、積極的な大学生活を送ってきました。

 

そうして大学4年になり、今ここに立っています。



大学生活では本当にいろいろなことを経験させていただきました。だけど、その中で本当に自分がやりたい!と感じられることが見つからなかったんです。

そこで、就活を意識し始めたタイミングで、今まで無意識に遠ざけていた仏教を改めて勉強してみることにしました。

 

すると、昔は全くピンとこなかったいくつかの教えが、ありありと生き物のように自分の中にすっと入ってきたのです。

「逢仏殺仏って、あの時に感じた考えと同じことを言ってるじゃん。」

愛別離苦、振られたばかりの今聞くと、とてもしみる。」

「あぁ、他力本願ってそういうことか。」この教えは就活の時大きな支えになりました。

 

仏教で説かれている人間の本質は、今でも全く変わらないのだ。」

 

と、20年余り生きて、たくさんのことを経験して、自分の精神がある程度成熟してきて、そうして初めて仏教のすばらしさというか、先人たちの偉大さというか、そういう畏敬の念がわいてきたのです。

仏教って凄い!この教えは間違いなく今の人にも伝わるはずだ!と、その時初めて思うようになりました。

 

正直、今の日本では、無宗教を標榜する人も多く、仏教徒と呼べる人はあまり多くないと思います。だけど、きっと仏教の教えを知っていたら、心が軽くなったり、救われたりする人もまだまだいるのではないでしょうか。

仏教の持つ力が十分に発揮されていないような気がしています。



「人々の心の支えとなるものとして、仏教を今よりもっと身近な存在にしていきたい。」

これが僕の目標になりました。

仏教の教えが必要なタイミングはきっとそれぞれあると思いますが、そのタイミングが来た時に、すっと仏教の教えを手に取ってもらえるように、もっと人々のそばに仏教、そしてお寺を近づけていけないかと考えるようになりました。

 

それをやるには、まずは自分が心から仏教の教えに共感することからです。

僕自身、少しずつ仏教の良さはわかってきたものの、まだ、なくてはならない存在にはなっていないような感覚があります。

普通に生活していても、何かにすがりたいほどに苦しいという場面はそう起こりません。大学生活、楽しいことばかりです。(笑)

教えの本質を心から実感し、それを自分の言葉でもって語れるようになって、初めて伝えられるものがあるのではないだろうか。

そう考えて、大学卒業後は一般企業に就職し、社会人になろうと思っています。そこで社会の荒波に揉まれながら、色んな壁にぶつかりながら頑張りたいと思っています。そしたら、また新たに今まで感じられていなかったこと、あるいは見えていなかったことが見えてくるような気がしています。

そうして仏教の教えが体に染み込んで、単なる引用でなく、自分の言葉で仏教を語れるようになったときに、お坊さんとして実家に戻ろうかなと思っています。

これが自分なりに辿り着いた、理想のお坊さんへの道です。

 

しかしです。

冒頭に紹介した、檀家さんからの言葉に戻ります。

「大学4年かい。じゃあ来年は戻ってきてくれるんだね?」

 

この言葉は、おそらくお寺に戻ってきて、しっかり「先祖供養」をしてほしいという趣旨の言葉だったのだと思うのですが、、。

確かに僕が来年大学を卒業してすぐにお寺に戻ったとしても、お参りもできるし、葬儀の役僧もできると思います。先祖供養という面では、檀家さんからの期待に応えられると思います。

 

だけど、裏を返せばそれ以上のものは期待されていないのではないか。と、

自分が決めた、社会の荒波に揉まれながら仏教の教えを理解し伝えられるようになる というこれからの目標は、檀家さんにとっては別に必要とされていないのではないか。と、

そう感じてしまったのです。

 

今の日本のお寺では、お坊さんは「先祖供養のためのお経を唱える人」。そんな「職業」のようになってしまっているような気がします。

 

当然先祖供養も大切ですが、だけどお坊さんの存在意義とは、それだけじゃない気がするんです。

人々の悩みや苦しみを一緒に考えて、その人自身が自分で悩みを解決する手助けをする。正しく生きるための心の拠り所を提案する。そんな役割がお坊さんにはあると思います。

そして今の社会には、間違いなくそういった役割が必要だと思っています。



最後に、これからのお坊さんの在り方について考えてみます。

供養のときにしか人々に求められなくなってしまった日本のお寺が、再び価値を見出され、人々の心の拠り所となるためには、何が必要でしょうか。

まずはお坊さん一人一人が教えを丁寧に伝えていくことではないかと思います。だけどそれだけでも足りないと思います。

今の社会がどうなっていて、今の人が何を考えて、どんな暮らしをし、どんなことに困っているのか。これをしっかりと自分の目で見に行って、そのうえで、伝え方を考えていくこと。これが大切なんだと思います。

インターネットを通してお坊さんへお悩み相談ができる「hasunoha」というサイトがありますが、このようにインターネットを駆使して人々にアプローチするといった、新しい伝え方も必要だと思います。

あるいは、僧侶が運営する坊主バーというものが全国に4店舗ありますが、これも僧侶がより多くの人との接点を持つためにはどうすればいいのか と考えた末に始めた活動だそうです。

寺子屋ブッダという団体は、お寺とヨガの先生や音楽家などを引き合わせ、お寺でイベントを開催するプラットフォームを作っています。

今述べたのは私の好きな団体ですが、このように、お寺を積極的に社会に開いて、先祖供養の時以外の接点をもっと多く作っていく必要があると思います。

 

親鸞聖人がそうであったように、今生きている時代を顧みて、その時代に合わせて仏教を0.1ミリでもアップデートしていく、そういった姿勢が大切なのではないでしょうか。

 

私は来年から、広告代理店のデジタル部門に就職する予定ですが、そこでインターネットを使った新しい広告の仕組みなどを理解し、その領域の専門家としての知識を得て、仏教を知ってもらう活動に還元できたらいいなと考えています。

 

まだまだ仏教についての勉強も浅いですし、考えも粗削りですが、ここで同志と呼べるような仲間を作って、一緒にこれからの仏教を盛り上げていけたらいいなと思っています。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

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ちなみに、後日佛教タイムスの表紙を飾りました。笑

 

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