1年の振り返りをしてたら8000字超えた

特に12月は一瞬で過ぎ去り、2017年も残すところあと1日となってしまった。

Facebookを見ると、色んな人が1年の振り返りをしているが、僕もしようと思う。人に見せる用ではないので記録としてだらだらと残す。

 

まず1年前の今頃ってどんな感じだったかなと思い、振り返ってみたのだが、あんまり記憶がない。色んなSNSとかを振り返っても、大した記録が残っていない。

んー、多分、あんまり調子よくなかったんじゃないかなーと思う。笑

去年の夏から始めた寺子屋ブッダでのアルバイトは、普通じゃ出会うことのできないいろいろな人に会うことができたり、様々な事業が展開する中でお寺業界の最前線感を感じたりして、充実していたと思う。

お金がないのでもう一つ始めたビズリーチでのインターンも、まあ新規事業ゆえに実装されない企画が多かったけど、好きに色々やらせてもらっていた。

じゃあ何が調子よくなくさせてたかって、やっぱり自分の進路が決まってなかったことだろう。

当時を思い出すと、夏のインターンは大成功して、LINEは年明けから特別ルートでの面接がスタートする予定で、冬のインターンリクルート住まいのに参加が決まっていて、そこそこ順調だったはず。だけどやっぱり気持ちが浮かなかったのは、本当に就活するのか、もう1年休学して仏教の勉強とか寺子屋ブッダを頑張るのか、決めかねていたからだろう。

結局、とりあえずLINEは内定取っておこうと思って余裕こいてたら最終で落ちるし、住まいのインターンも散々な感じになっちゃったし、そのへんからさらに泥沼に入っていったような気がする。これが1月、2月くらい。

いい話もあった。この頃、彼女と初めての旅行で三重に行った。二人が行ったことのない県を書き出して、あみだくじで決まった三重だったけど、最高の選択だったと思えるくらい楽しかった。三重に行くなら、伊勢神宮とかだけじゃなくて、熊野古道のほうとか自然を満喫できるところに行くのがおススメです。

そんな感じで程よく彼女にうつつを抜かせながらも、あ、そうだこの頃はまだ竹田とルームシェアしてたんだった。二人で住んでいたのもはるか昔のことのように思えるけど、たぶん2月とかは、別居が決まって、冷え切った仲が再びちょっとだけ温まりつつあった頃だと思う。笑 

もう別れるってわかると、一緒に飲みに行ったり、二人の時間を大事にしようとするんだよな。って夫婦かよ。

それで、Twitterをさかのぼって自分の活動を振り返ると、やはり活動の中心は長期インターンみたい。2月末に、寺子屋ブッダでいい提案ができたらしいことを書いている。

この頃はまだインターンを頑張りたいと思っていた。就活するよりも、寺子屋ブッダでもう1年頑張ったほうが、今後の坊主キャリアにつながるかなとか、そんなことを考えていたと思う。孫正義財団にもエントリーしてたし。笑 あれは第1回だから結構通るかなと思ったんだけど、蓋を開ければガチ優秀な人が集まってて(天才小学生的なのとかもたくさん)、普通に無理だった。

そうこうしているうちにも時間は過ぎ、そろそろ決めねば!と思い、寺子屋ブッダの代表にこのままもう1年続けたいってなんとなく伝えたら「それより企業で務めたほうがいいと思うよ」ってやんわり断られる。

ああどうしようと心を決められないままずるずると時は過ぎ3月。

3月9日に「人生どうしよう」ってツイートしていて笑った。

でもそのあとに「嫌われる勇気」ってツイートしているので、まだ道から外れたがっている模様。

でもたぶん3月下旬くらいだろうな、インターンの上司や周りの人に「秦くんどうするの」とか言われるようになって、いよいよどうしようかと考え始めた。

3月末は引っ越しもした。竹田とのルームシェアから、神楽坂のシェアハウスへ。

このタイミングだったから、まだ9ヶ月くらいなんだなあ。シェアハウスでの生活が始まったのが今年のハイライトの一つでもある。

最初はお金貯めてすぐに一人暮らしを始めるはずだったけど、まあそんなに心地悪くない・・・というか結局かなり愛着がわいてしまって、いまでは帰省していても家が恋しくなるくらい。

最初は大石、千葉ちゃん、ひげ、あやの、大吉、ジェロさん、秦の6人だったのが、ごんが来て、沼さんが来て、ごんが出て、風子が来て、沼さんが出て、あやのが出て、灰田が来て、なおちゃんが来て、たまこが来て・・・今は10人になった。 

延べにしたら何百人もお客さんが来たし、色んな人に出会って、自分の中でもいろんなことを考えるきっかけになった。大学生活最後の一年間で、まあ面白い環境に身を置けたと思う。

さて、自分の話に戻って、4月。4年生になり、ついに本格的に就活を始めたのを覚えている。忘れもしない、3時間くらいは確保して、渋谷のパブリックハウスというカフェに籠城。リクナビに募集要項が掲載されている8000社のページをすべてスクリーニングして、気になる企業はタブで開いて、それを全部再確認して、なお興味があるところをスプレッドシートに落とし込んで志望企業リストを作った。

リストになったのはたぶん40社くらいだったか。過去のファイルがどっかにいっちゃったので参照できないが、それくらいだったと思う。

そっから15社くらいに絞って、ESを書き始めた。ここから本格的に就活が始まった。

んで、就活にどんどん入っていくと、やっぱり自分の世界も狭まってくるわけで。今考えると、思考が偏っていたなあと思い出すことが多々ある。自分はバランス感覚あるから大丈夫 ってやってる最中は思ってたんだけども。

一旦入り込んじゃうと、「企業ブランド的にどうだ」とか「とりあえず内定貰って余裕みせたい」とか「あいつがあんな企業に?」とか、そういう“就活世論”みたいなもんに流されて、本質を見失っていたように感じる。

まあそんな感じで4月は終わり、5月のGWは彼女と長野旅行へ。彼女の実家とかばあちゃんちとかも回ったりして、めちゃ楽しかった。あ、和尚の家も行った。最高の立地とおもてなしだった。長野好きになった。GWは遊び通して、5月中旬くらいからは徐々に本選考が始まっていった。

実際にエントリーした企業はこんな感じ。

リクルートキャリア、リクルートライフスタイル、リクルートホールディングス、パソナキャリア、博報堂ADK日経新聞野村総研博報堂プロダクツ、アビームコンサルティング

いくつかの業界のなかから興味のある企業を選んで、博報堂(生活総合研究所)が第一志望だったんだけど、まあ進めながら企業を見て行ったらいいかなというスタンスで選考を進めていった。

その中でいいなあと思ったのがアビームだった。選考を重ねるごとにアビームの企業理念とか、人とかがほかのコンサルとは一味違って、魅力的だなあと思うようになり、6月中旬くらいに内定を頂いた。

その頃には途中でやめてしまったり落ちたりで(リクルート系は6月から一気に選考進んだんだけど全部落ちた)、残すところは第一志望の博報堂のみで、かなり気合を入れていたんだけど、3次のグルディスで落ちた。周り大したことないと思ったし上手くアピールできて、手応えあったんだけど落ちちゃった。あの時はみんしゅうを見まくって、他の人が選考通過したとの書き込みをしているのに、自分はまだ可能性あると信じて待っていた。けど結局落ちてたなあ。まあ合わなかったってことで。

ついにアビームに決断。内定承諾もして、ひとまず4月から始まった就活は6月末で終わりを迎えた。

そっからはまた普段の生活。

半期の授業「イノベーションプラクティス」があったり、インターンもがんばったり、お寺業界の人に会い始めるようになった。

この頃に「ホトカミ」の吉田さんや「みんれび お坊さん便」の海野さんとかに会っている。どっちも知人に紹介してもらって。この頃から、いろいろ嬉しいご縁を頂けるようになった。

友廣さんに機会をもらって千歳のまちライブラリーの打ち合わせに参加させてもらったり(ここでは反省すべき点が多々あった。それから、個人で活躍する人ばかりの中で、自分がこれからいかにしてこういう場で価値を出せるようにするかとか考えた。この時点では、学生・北海道に友達多い ということくらいしか貢献できなかった)もした。

あとはテスト100%の授業しかとっていなかったので、試験勉強三昧な感じ。なんとか頑張って、18単位くらいとった!

そして8月になる。

実はアビームに決めてからも、なんとも決めきれず、本当にここでいいんだろうかという気持ちが付きまとっていた。わかりきらない部分があったので、3人くらい社員に合わせてもらったり、内定者ランチとか座談会とか会社が自主的に(いい会社!)やってくれているイベントに参加して、情報収集をした。

それでもやっぱり決めきれずいたときに、ビズリーチでお世話になっていた部長が、「秦くんもっと他にあるかもね、データがこれから面白いよ」とデータサイエンス系の企業を紹介してくれた。

それで、自分でも届きそうなところということで、電通デジタルと博報堂デジタルを受けることにした。

それで結局博報堂デジタルに決めたんだけど・・・

博デジに決めるまでに、本当に時間がかかったなあ。結局アビームを内定辞退したのが9月中旬。内定式の2週間前とかで、何度も通ってお話はさせてもらってたんだけど、迷惑かけた。だけど最後には僕の選択を肯定してくれて、背中を押してくれた。本当に色んな人に話も聞いたし、悩みぬいた末の決断だった。

博デジは、二次募集は1日で完結しちゃうという超コスパの良い選考だった。スピード内定だっただけに、受かってからいろいろ良くしてもらった。無理を言って会わせてもらった同期はいいやつで、一緒に頑張っていこうと思える友達になれた。

と、そんな感じで8月はお盆の帰省とかもあり、飛ぶように過ぎて、9月。

やっっっと進路も大方決まって落ち着き、自分にとって大きな転機となった、仏教青年会の合宿があった。この話の詳細は前に書いたブログに譲るとして、ここでスピーチしたこと(スピーチのために気持ちを言語化したこと)が、自分の中で一つ覚悟になったように感じる。この原稿をのちにFacebookにアップしたんだけど、とても反響があって、「ああついにここまで来たなあ」と思ったのを覚えている。

hatasan.hatenablog.com

まあ絶対お坊さんになるって決めたわけじゃないんだけど、これまで興味の幅が圧倒的に広くて、何者でもなかった自分が「お寺の人」になったことは、その後の人生においても大きな転機となるはず。

自分に一つのオリジナルの看板を掲げることによって、それから急に色んな機会をもらえるようになった。

それからちょうどこの頃、先述のイノベーションプラクティスからスピンオフして「就活とエゴと坐禅のワークショップ」を始めたりもした。これも自分にとっては大きな経験で、これまでインターンや団体で何かすることはあっても、自分が主体となって、すべての責任を背負いながら何かをやるという経験が無かった。「自分が最前線で何かをやったことがない」ということがコンプレックスだったんだけど、ここでついに腹を決めて自分でコトを起こしたのだ。これは小さいけれど、自分にとって大きな一歩だったと思っている。

さて、少し息抜き。9月20日の誕生日は、彼女と沖縄で過ごした。この旅行は自分にとってもとても印象深いものになって、今でもたまにあの楽しかった思い出に浸ったりする。

10月。何してたかなー。たぶん仏教の勉強を改めてやったり、ビズリーチでのインターンに注力したり(たしか14万くらい稼いだ)、人に会ったりしていたんだと思う。

11月は、またいろいろいい出会いがあった。たなしょうに誘ってもらったよんなな会にて、脇さんや畑中さん、ゆるスポーツの澤さんと会ったりした。この頃はもうお坊さん的な感じで紹介してもらうことが多いので、みんなそれを絡めていろいろ連携できそうなことを考えてくれる。

そのあと脇さんに誘ってもらったよんなな×OneJapanの集会では、また色んな人と話すことができた。ここでも、民間とお寺が連携して何かできるんじゃないかということは強く思ったし、同時にもっと自分に力があればなあ。早く自分の身一つで仕事ができるようになりたいと思った。自分がお寺と企業のハブになれば、めちゃくちゃ色々面白いことができると思うんだ。そういうポジションに立てるようになりたいと思った。

それからもう一つ。100バンチの加藤さんに呼んでもらって、高野山の飛鷹さんと仏教に関わる若者の会に参加させてもらったんだけど、ここでも色んなキーマンに会うことができた。

飛鷹さんは今まであったお坊さんの中で最もビジネス側の優れた視点を持ってる人で、とても刺激的だった。それから、博報堂の生活総合研究所に勤めるお坊さんにも会うことができた。しかも、そのひとがなんと僕の就活坐禅WSのことを知っており、未来の住職塾コミュニティに紹介までしてくれていたという奇跡。色々意見交換もできて、手伝ってくれるとも言ってくれて、さすがにこの日は飛び跳ねて家に帰った。

そうそう、出会いと言えばもう一つ。後期に取っていた「姿勢と健康」という授業で偶然ゲスト講師として来ていた精神科医でお坊さんの川野先生との出会いも嬉しかった。

マインドフルネスのお話をしていたのだけど、それがあまりにも面白くて、また寺子屋ブッダのマインドフルネス事業とも通ずるところがあって、思わず講義のあとに話しかけてしまった。意気投合して、そのまま寺子屋ブッダの代表に紹介することに。

この前その面会があったんだけど、それもめちゃ面白くて、ついに寺子屋ブッダにジョインしてくれることに。代表の松村さんも「今年で一番うれしい午前中になりました」と一言。これを聞けたときはめっちゃ嬉しかったなあ。

そんなこんなで、「お寺の人」になった9月から、10,11月はガっといろんな人に会ったりする機会が増えて、やっと前に進み始めた実感を得ることができた2か月だったと思う。ここで植えさせてもらった種を枯らさないためにも、止まってられないと思っている。

そして最近に至るまで。書いておきたい話は3つで、ビジネスモデルの授業の話と東北の話と彼女の話。

まずビジネスモデル仮説検証という授業。これもとても勉強になった。ビジネスモデルの組み方にはいくつかの方法があるけど、ここではプロダクトアウトの形で、仮説をもとにサービスを考えてから、リーンスタートアップ的にヒアリングを通して仮説検証を行い、ピボットしていくという手法をとった。

僕はお坊さん限定SNSというものを考えて(センセイノートから着想を得た)、SNS上でやり取りすべきお坊さんの関心ごとって何だろうというのを合計12人のお坊さんや事業者の人にヒアリングして考えていった。

知り合いのお坊さんづてで色んな人を紹介してもらってヒアリングを重ねていくと、ふわっとしていたお寺業界の輪郭がよりくっきりと見えるようになっていった。いろいろ勉強になるよい機会になった。

結果的には、授業ではかなり評価してもらってプレゼンまでさせてもらって、満足の意行くビジネスモデルになった。

本格的にやってみようかなという気持ちにもなった。

しかし、、授業後にも何人かお坊さんに話を聞いていったのだけど、んー、好きなお坊さんもいるけど、あまりいいなと思わない話も聞く。がっかりしてしまうようなことを聞くこともある。そういう現実を見ていったときに、はて、僕はお坊さん向けにサービスを提供したいのか?という根本的なモチベーションが見えなくなってしまった。

自分が決めたお寺業界で自分の影響力を大きくすることが今は一番の目的ではあるけど、本気でワクワクしないことをやってもしょうがないなと。

それで色々考えたところで、お坊さんに対して何かするというよりも、やっぱり社会に対して、仏教を通じて何かするというほうが、つまりBtoB(ボウズtoボウズ)より、BtoCのほうがやっぱりやりがいがあるし、楽しいだろうなと思い至った。

一周まわってこういう気持ちに至れたのは、ある意味仮説検証で、とりあえず一生懸命授業に取り組んで良かったなと思う。

次に東北の話。大学に入ってすぐからずっと続けてきた東北の復興支援の活動もここで一区切り。12月21日に開催したKesennuma voices6上映会の後の打ち上げで先輩や同期、先生と話していて涙が出そうになった。

東北復興支援の活動に関しては、もちろん関われてよかったとは思ってるんだけど、あまり自分がやってきたことに対して、自信が持てないというか、もっとできることはあったなという後ろ向きの思いがあった。特に意識はしてなかったのだけど。

12月21日のイベントは後輩に引き継いで無事に終了。アンケートも素晴らしい結果だった。飲みながら同期の飯田氏と一緒に眺めていて、急になんだか思いが溢れてきて。いやあ、頑張ってきたなあ、続けてきてよかったなあと、初めて自分の活動に誇りを持てたような感じがして、涙が出そうになった。

詳しくは後に書くブログに譲るんだけど、これも本当にありがたい経験だった。

最後に彼女。付き合ってついに1年がたったけど、一層彼女を大切に思うようになった。誕生日、記念日、クリスマスと、お財布のほうはやや疲弊したんだけど、全部楽しかったなあ。改めて、幸せに思う。

一層大切に思うようになったきっかけがいくつかある、、んだけど、書くのはまた今度にしよう。

 

さて、卒論並みに文字を書いてきたけれどやっと現在に戻ってきた。

今は卒論とか笑、読みたい本とか、インターンとか、仏教とか、データサイエンスの勉強とか、旅行とか、いろいろやりたいことがあって常にせわせわしている状態なんだけど、まあ、1年を振り返ると、いい一年だったなと思う。月並みだけど。たぶんみんな言ってると思うけど。笑 

自分にとってはとても重要な一年になった。そして確実に成長できた一年だったと自分を認めてあげたい。(もっとやれたけど!寝すぎ)

最後に、最近の学び。自利利他円満というけど、まずは自利を満たしてあげることが大事。

今年の目標として書初めしたのが「謙虚」と「慈悲」だったんだけど、これがどうしても、どう頑張っても実行できていなかった。自分の言動を客観的に見れば、とても謙虚だったとは言えないし、慈悲に関しても、歩くのが遅い人にイライラしたり、自分と考えの合わない人を疎ましく思ったり、全然ダメだった。

と思ってたんだけど!ついこの前、気づいた。

慈悲とかいうけど、まずは自分に慈悲の心を向けてあげないとだめじゃん!と。

そりゃ自分のできてないところは気になるし嫌になるけど、良くなったところもあるんじゃないの?と。去年と比べたら意識できるようになったじゃん、と。

そうやって心の角度を変えると、素直に自分頑張ったじゃん、と思えた。すっと肩に入っていた力が抜けたような気がして楽になった。

まずは自分のいいところを見てあげて、満たしたうえで、他者に心を向けていかないと、苦しい。

今回のブログは、一年を振り返りながら、自分のがんばったところを見つけるというのも一つの目的だった。(自画自賛的な個所が多くてすみません)

 

さて、来年はどう生きようか。残された大学生活、一日一日を丁寧に生きよう って最近思うことが多くて、ことあるごとに「これが最後の〇〇かもしれない」とか思うようになって、これがとても苦しい。最後の〇〇 とか急に思い始めるの本当にやめたい。悲しいつらい。

そしたら昨日とっても素敵な文章に出会った。

悟りといふ事は如何なる場合も平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。(正岡子規)

正岡子規が病床でつづった言葉。

「悟りとは、いつ死んでもいいということだと思ったんだけど違った。いつでも平気(乱れず平穏に)に生きていられるということだった。」

凄いなー。もちろん一日一日を噛みしめながら生きるというのはその通りだと思うんだけど、そのうえで普段と変わらない平穏な気持ちで生きていけたら、楽だなあと思った。

この言葉を胸に、4月まで平気にいきたい。


写真はじーちゃんとの2ショットをバッジにしたもの。さっき見つけた!f:id:hatamasaaki15:20171231224411j:plain