ガキ使のブラックフェイス騒動について
最近は議論が湧きおこっているニュースに関しては情報収集をして自分の考えを持つようにしているが、そういう考えもちゃんと記録に残しておこうと思う。
今回はガキ使のブラックフェイス騒動について。
絶対に笑ってはいけないシリーズ、今回のテーマはアメリカンポリスだった。
問題になっているシーンは、毎年恒例となった5人それぞれがその年のテーマのコスプレをしていく序盤のシーン。
それぞれアメリカンポリスのコスプレをしていくんだけど、最後の浜田だけがエディ・マーフィ主演の映画「ビバリーヒルズ・コップ」のコスプレとして、顔面黒塗で登場。一応アメリカンポリスだけど、「浜田だけなんで黒人やねん、しかもメイク細かすぎやで。耳元までちゃんと塗られてるやん。」みたいな感じでオチが作られていた。
これに対して日本在住の黒人作家マクニールさんが厳しく反応。
これが拡散されて議論を呼ぶこととなった。ハフポストに寄稿された記事がこちら。
さらにフローレンスの駒崎氏はこれを「人権後進国」と批判。この意見にも賛否両論集まった。
僕は一連の騒動を見て、上記批判がピンとこない感覚があった。
批判の論調は、
「ミンストレル・ショーという黒人蔑視的なショーが1800年代に欧米であったが、これが国際的に批判されたことに端を発し、今では世界の共通認識として黒塗りはタブーとされている。
だから日本で黒塗りがされることが、いかに国際的に良くなく、また黒人を苦しめ、また日本の無知=人権後進国たるかを世界に知らしめていることになっているか。」
ということだったのだが、どうもこれがすっと入ってこない。とにかくタブーだからダメです と。なんで昔の映画の役を再現しただけで批判されるのか。
特に駒崎さんのブログはとにかく批判の言葉が厳しく、且つ話を極大化させ日本が「人権後進国だ」とまで言っており、
なんだか完全に批判の立場になりきれていない自分まで批判されたような気がしてもやもやした。
過敏すぎるんじゃない?と思った。
加えて駒崎さんは、広島の被爆者を笑いのネタにされたらどう思う?と例に挙げていたのだが、つまり黒人を被爆者と同種の、損害や障害の悲劇のもの として捉えているの?さすがにこれは論外。
黒塗りしている→人種差別だ と、こういう脊椎反射的な反応こそ、人種の“違い”を人種“差別”へと転化させ、いつまでたっても過去にあった差別をそのまま差別として残し続けてしまっているのではないかと思う。
これから新しく生まれてくる人は、人種差別があった時代ではなく、新しい時代を生きる。それなのに、過去にこういう過ちを犯したからこれは駄目なことだと、過去の過ちを基準に考えていたら、いつまでたってもその過去の過ちから逃れることができないじゃないか。
新しい時代には、新しい価値観を作っていく必要がある。
例えば、人の移動が流動的になり、国にいる人種も多様化、且つ奴隷制度のような階層社会は薄くなり、日本育ちの黒人もたくさんいる。そんな時代には、黒人の存在はごく当たり前で、肌が黒いというのも個性として当たり前に受け取られているかもしれない。
そういう新しい価値観が生まれつつある中で、黒塗りは歴史的にタブーだ!とか言われても、そんなの知らんし、逆にむしろ黒人ってそんなに庇われるべき存在なの?かわいそうなの?と思ってしまうのではないだろうか。もちろん、黒人の歴史を知ることは大切だとは思うけど。
学校の人権教育でも、そうだったようにわざわざ過剰に取り上げることで、今まではなんともなく差別とは感じずに接してきたことに対して差別意識が生まれるということは考えないのでしょうか…?
— Lions first (@Lions717victory) 2018年1月5日
問題を指摘した津田大介さんのツイートに対するリプ。今日が成人式らしい青年のコメントだけど、これが今の若い人の感覚だと思う。
さて、僕も今回問題となっているシーンを見た。このシーンがありかなしかで言われたら、絶対無し。不快。
黒人の友達はいないし、人種差別がいかなるものなのかは想像に及ばないけど、
浜田が登場した後、松本が「嫌やわあ、ずっとはきついわあ」という発言をした。これはひどい発言だと思った。
そもそもオチとして笑いを取ろうという姿勢がだめだし(モノマネで笑いを取ってるんじゃなくて、黒塗りで嫌そうに登場したことで笑いを取ってるから)、そのあとの松本の発言は、黒い肌の人と一緒にいることが嫌だわあ と言ってるように聞こえた。これは黒人が悲しい言葉だと受け取っても無理はないと思った。
批判すべきは絶対にこっち。オチにしたことと、「嫌やわあ」との発言。これは身体的特徴を、笑いものに、さらには嫌悪の対象としているから。
黒塗りをすること自体は、個人的には、そんなに問題かなあと思う。エディマーフィーのモノマネを顔黒く塗ってやるの、ダメ? 少し、窮屈に感じる。
だけど、津田さんの紹介していたドキュメンタリー見て思った。こういうふうに顔を黒塗りして黒人に扮すること、黒人の風貌をおもしろいと思ってしまう自分もどこかにいる気がする。(今回のでは笑ってないけど)
「僕らに差別意識ないですから!」と思ってても、これを笑いとしてなんら違和感なく見ている時点で、差別的な意識をどこかに持っていることを自覚した方がいい。
黒人は存在がオチでもないし、みんながみんなデニスとかアントニーみたいな愉快な人でもない。
自分らと同じ人間だ。そういう気持ちを常に持って向き合う必要があるなと思った。
最後に…人種とか、文化の違いは、ポジティブな笑いに変換できると思う。
そういうネタが世の中に受け入れられていったら、人種差別が「人種の個性」として昇華できるのではないだろうか。
なんでもかんでもタブーにするのでなく、また、歴史を知れ!と上から否定するのでもなく(んなこと言われたって何割の人が勉強しようと思う?)、みんなが共感できる形で「これは良くないことだね」と理解を深めていくことが、結局一番の近道なんじゃないかなと思う。
先入観の少ない僕らだからこそ、vsの構図でなく、weの関係で皆が住みやすい社会を作っていけるのではないだろうか。
ちなみに、ベッキータイキックは、目を背けたくなるくらい嫌悪感覚えた。
ああいうのが笑いとして消費されてるのは、マジでやばい。