2018年の振り返りは9500字

年末までバタバタして、もう大晦日になってしまった。実家に戻りやっと一息ついて、年末の振り返りでもしようかと思いPCを開いている。
去年の振り返りブログは8000字を超える超大作。見直してみると、いやはや、極めてエモい!
2017年の1月はまだ竹田とルームシェアをしていたというのだから、ものの2年で本当にすごい変化があったなあとしみじみ。時系列で振り返ると、自分が過ごしてきた時の流れがわかるのでとてもよいね。
というわけで、今年も1年間をじっくり振り返ってみようと思います。

 

まずは1月。僕は18入社であるけど18卒でもある。当たり前だけど、2018年の3月までは学生だったんですね。その時点でちょっと驚く。
1月は卒論追い込みのピークだった。年明けからはずっと論文や書籍を読んでいたと思う。
テーマは「終末期医療における日本の課題と、臨床宗教師が持つ可能性」。
経営学のゼミだったので、論文はお寺の経営で書こうと思っていて、先祖供養に依存しない持続可能な形を模索しようと、お寺でイベントをやるとか、地域コミュニティとか、色々可能性を検討した。だけど1周回って結局戻ってきて、やはり先祖供養のところが大事だな、いかに持続可能にできるかを考えたくなって、こういうテーマになった。
このテーマで論文書けて良かったな。今までほとんど触れてこなかったことだったので、新しいことをたくさん考える新鮮なきっかけになった。Facebookに投稿したら、めちゃくちゃたくさんの人が読みたいと言ってくれて、それも嬉しかったなあ。何か一つのことについて深く研究するなんてことこれまでなかったから、とてもよい経験になった。学問の深さを知ることができたし、学ぶことの楽しさを再確認できた。

秦 正顕 - 【卒論書いたから読んでほしい!】 「終末期医療と死生観、宗教者の関わり」... | Facebook

 

卒論が終わった後は、そのまま最後の定期テストに突入。全部テスト100%の授業だったから、テスト勉強の詰め込み度合いは半端なかったと思う。笑
しかし、最後のテストと思うと、感慨深かったな。この時期は何をするにも「最後か。」という感じがして、毎日エモかった。
と言いつつ、ギリギリまで卒論をやったり、その後の卒業旅行、華園学園のスクーリングなんかもあって、めちゃくちゃあわただしく日々は過ぎ、気づいたら全部終わってた ってかんじだったなあ。

そして2月は卒業旅行。2月5日から19日くらいまでの旅程だったかな。前半戦は、大学1年からの旅仲間のタケルと意識高い旅行。ポーランドに入って、ワルシャワアウシュビッツなどを見て、ウクライナチェルノブイリツアーに参加、その後彼女と合流して、ギリシャクロアチアを回るような旅程だった。限られた旅費、人生で初めて一人で飛行機に乗る彼女との合流案件、野犬に襲われ生死を彷徨うタケルとの合流など、行く前の調整が大変だった。笑 でも本当に何事もなく、全てスムーズに快適な旅行をすることができた。我ながらプラニング力に感服。
簡単に旅行を振り返る。タケルとは、お互いに初めて海外バックパックに行った時にも、タイで合流して遊んだくらいの仲。お互い初めてのバックパックで、びくびくしながらも初めての冒険に興奮してはしゃいだことを覚えている。
その後タケルは“未承認国家オタク”になり、ソマリランドやナゴルノカラバフ、沿ドニエストル共和国など国連未承認の国家へ次々と足を運び、現地の人にアイデンティティや幸せについてインタビューをするという、ド級の変態になった。
そんなタケルとの意識高い旅行。学びがないはずがない。自分の目で確かめながら、タケルが歴史背景を解説してくれてその場で議論ができるので、非常に思考の深まる旅行になった。
ポーランドに行く途中の飛行機で、ライフイズビューティフルと戦場のピアニストを観た。どちらもWWⅠ中のポーランドを描いた映画だ。機内でこの二つを見て、自分はなんて場所を行先に選んでしまったのだ と後悔した。笑 あまりに重く、悲しい歴史を知った。
だけどその分、現地ではすごくいろんなことを考えさせられた。アウシュビッツでは現地唯一の日本人ガイドの中谷さんに奇跡的にガイドをお願いすることができ(普通かなり事前に取らないと予約がいっぱい)、本当に貴重な経験をさせてもらった。あそこで起こったことは、「過去の狂人が起こした信じられない事件」ではなく、「現代でも起こりうる、普通の人間が起こした恐ろしい事件」だという認識に変わった。
正直、今の日本を見ていると怖い。水曜日のダウンタウンでのくろちゃんとしまえん騒動を見ていて、ナチスと近しい構図を感じてしまう。

news.livedoor.com

 

その後訪問したウクライナも、悲しい歴史を持った国。民族とは何だろう。人間とはなんだろう。と何度も考えさせられた。帰国してから読んだ佐藤優の「民族問題」はこの問題を極めて分かりやすく整理していて、超名著。何度でも読みたい本。
それから、ウクライナではチェルノブイリにも行った。ダークツーリズムの最前線 とでもいえばよいのか、良くも悪くも、観光化がとても進んでいるように感じた。
チェルノブイリ放射線量は、ほとんどの場所で首都キエフと同等のレベルまで落ちてきているが、池や窪地などホットスポットと呼ばれる場所がいくつかあり、極めて高い放射線量を示す。ただ、そういう場所には立て札もたっているし、人が住めないということはない。
しかしながら、今となってはほとんど人は住んでおらず、生き物は野犬くらいだろうか。雪深く音一つない時が止まった町に、胸が詰まりそうになった。
んでだ。そういう場所だが、観光地化はよく進んでおり、ツアーはさながら廃墟ツアーといった感じで、ガイドのお姉さんがポップに町を案内してくれる形だった。ツアーは毎回満員で、世界中から、興味本位の旅行者が集まっているような印象を受けた。
ツアー料金もウクライナの物価からするとかなりの高額で(日本の感覚だと、日帰りのツアーで3、4万円といったところか)、国にとってもかなりの観光ビジネスになってるのではないかと思う。
なるほど、被爆地のそういう未来もあるのか、と思う反面、かつては人々が明るく生活していた場所だと思うと、なんとなく悲しみと怒りが混ざったような感情が湧いてくる。福島がこうなったら、、、そう思うと、やりきれない気持ちになる。とはいえ、元住人の方を尊重するだけでもその土地の未来は見えてこない気もする。そのせめぎあいが本当に難しいところだと思う。これはまだ答えが全く見えてない。

長くなった。そんなこんなで学びの多い旅を終えて、後半は彼女と合流して、ギリシャクロアチアへ。弾丸旅程だったけど、ギリシャアテネサントリーニ島、天空の修道院メテオラへ。クロアチアでは、ドブロブニクザグレブプリトヴィチェ自然公園に行くことができた。どこも最高だったなあ。全部、何度でも行きたい町。特にドブロブニクは本当に気に入って、将来ここでノマドワーカーになるのもいいなとか考えたりもした。

さて、日本に戻ってきた後は、たぶんビズリーチインターンで有終の美を飾るために頑張ったり、ガンガン湧いてくる勉強欲を片っ端から満たしていったりしてたと思う。
3月頃につぶやいていたtweetに笑った。

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日々エモみを感じながら過ごしていたのだろう。笑
3月末には、のまっちに誘われてクスノキ合宿にも参加した。関西のコミュニティで、勉強大好きマンたちが集まって様々なテーマについて議論し学びを深めていくというような合宿だったんだけど、ここではなかなか衝撃を受けた。これまで出会ったことのないような優秀な学識のある学生たちがたくさんいて、4年生のこの時期にめちゃ危機感を感じたのを覚えている。劣等感を感じながらも、もっともっと上がいるということを知れたのは社会人になる前にとてもよい経験になった。

あとは、東北に行ってお世話になった場所を巡ったり、仲の良い親友たちと卒論発表会をしたりした。一緒にやった二人の「想像力」「液状化するアイデンティティ」はとても重要なテーマで、今でも折に触れて思い出させてもらっている。

あと、1年間お世話になった神楽坂のシェアハウスから引っ越しをしたのもこの時期。カグラボ最終日、みんなでカラオケに行ったんだけど、みんなが曲の一部を秦に変えて歌うという謎のノリに。オレンジレンジを歌えば「僕らと秦は以心伝心~」みたいな笑 これがなかなかエモくて、泣いた。笑 あったかくて、笑顔に溢れていて、本当にありがたい場所だったなあ。

さて、そうしてついに社会人になりました。社会人1日目のことは、こちらのブログに書き残してあった。今でもこの時の心境とはあまり変わっていないけど、改めて初心は忘れずにいたい。

hatasan.hatenablog.com

 

4月は1か月研修だったけど、正直、ストレス溜まってたなあ。笑
意識の低い同期、レベルの低い研修、低い期待値。。。また学校に戻ったかのような感覚だった。ビズリーチで色々やらせてもらえてたから、ギャップがすごくあった。
時間も有り余って、日々色んな事を考えながら過ごしてた気がする。

5月になり、会社では配属が決まり、厳しいとのうわさで誰もが行きたがらなかったパフォーマンス業推戦略ユニットという部署に入ることになった。データとかやりたかったから、正直もやもやしてたけど、まあ今はこの部署でよかったなと思っている。

社外では、よんななお坊さん会の第1回目を企画。なかなか頼れなくて、結構自分一人で抱え込みながら企画を進めることになって、精神的にきつかった。企画はバタバタだったけど、とても熱量高く、有意義と思える場を作ることができた。

秦 正顕 - 【第1回 よんななお坊さん会 開催しました!】... | Facebook

ここでの縁は今でもいたるところで繋がっており、それぞれが主催するイベントに招待しあったり、プロジェクトを一緒に進めていたり、小さいけれど新しい芽を生み出すことはできて、とても嬉しい。

仕事のほうは、6月から本配属となり、戦略U第二Gに配属された。希望していた社内のナレッジ集約やツール開発などを行う部署には行かせてもらえず、まずは現場で頑張ってこいとのこと。社内でも随一の忙しい部署だったので結構ショックだったけど、期待の配属だと信じて。。
1年目にはOJT制度があり、トレーナーがついた。そのトレーナーがなんと、札南の5期上の先輩で、且つ誰もが知る高校のスーパースター、高校史上初のドラ1で楽天に入団したピッチャーの寺田さんだった。そもそも同じ会社にいること自体驚きだったが、まさか隣で仕事をすることになるとは。。寺田さんとはすぐに打ち解けることができ、とてものびのびと仕事をさせてもらえた。

あと、この頃一つ嬉しいことがあった。学生時代の友人が新聞社の札幌支社配属となり、父の仕事を取材し記事にしてくれたのだ。

https://www.facebook.com/masaaki.hata.920/posts/2158747184359652

学生時代夢にを語り合った友達と、社会人になってこうして社会を舞台に共演できるというのは、人生において最高にうれしい瞬間の一つだなあとこの時思った。きっとこれからもっとこうやってコラボできることが増えてくるんだろうなと思うと楽しくて仕方がない。

 

さて、仕事のほうは、社会人としての基本的なスキルを学んでいた頃だと思う。トレーナーが超合理主義者のキッチリマンで、自分の性格と真逆というか、自分がこれまでなあなあにしてできていなかったことを一つ一つ矯正していってもらった。笑 納期を守るとかね。

こんな記事を書いていた。

note.mu

最初の基礎固めの時期は、どうしても色々溜まってしまうよね。悶々としてますね。笑

仕事は早く退社していたので、勉強する時間はたくさんあったみたい。仏教の本や広告の本を色々読み漁っていた。

note.mu

あと、この頃から、これは今年の大きな成長ポイントであるけど、“決め過ぎ”傾向が見え始めた。
社会人になって、人生のステージが一つ進んだことにより、生き方について考える機会が多くなった気がする。僧侶としてどう生きたいか。ひいては一人間としてどう生きたいか ということを考えるようになった。それはそれでいいことなのだけど、このことが自分を苦しめた1年だった。
簡単に言うと、こういうこと。こういうふうに生きたい が、こいうふうにあるべきだ と変化し、最終的には こういうふうにしなければならない といつしか自分に縛りを設けて、それに苦しめられるようになっていたのだ。
こうしなければ に囚われて、自分の思考を狭めるだけでなく、他者への不寛容にも繋がってしまっていたような気がする。色んなきっかけで、この囚われからは徐々に離れていくことができたのだけど、これが今年一番の成長ポイントかな。

10月頃かな、雑誌「たたみかた」のイベントで藤田一照さんとお会いさせて頂いた際、悩みのたけをぶつけさせてもらった。そしたら一照さんは、笑いながら「いいねいいねえ~。それでいいんですよ。」と言ってくださった。これがすごく印象的だった。
悩むことはとても良いこと。仏教の教えを頂きながら、自分の生き方を見つめ続けていくことが、仏道を歩むということらしい。
何かすごい答えがもらえるだろうと期待していたから拍子抜けしたけど、だからこそ、「あ、これでいいんだ」と不思議な安心感をもらうことができた。

 

さてさて、話は戻って、8月は華園学園の1週間のスクーリングがあった。仕事を1週間休んで缶詰めになって仏教を勉強する時間は、意外にも有意義で学びの多い時間になった。仏教の教えを自分事として今の環境と照らし合わせながら考えることができるので、生きた教えとして自分の中に吸収できた気がする。あと、浄土真宗の教えをようやく体系的に理解できるようになって、自分の頭で色々考えられるようにもなった。

秦 正顕 - 【フリースタイルな僧侶たち】 最近、暇があれば読んでいるのが「フリースタイルな僧侶たち」。... | Facebook

京都でのスクーリングの最終日、フリスタ元編集長の若林さんにアポを取って話を聞いてもらったのも、めちゃくちゃ良い時間だった。長々とまとまらない話をじっと目を見ながら聞いてくれて、適切な言葉をかけてくれた。この時書いてくれたノートのメモ書きは、今後も何度も読み返すことになるのだろう。

さて、9月は第二回よんななお坊さん会を開催した。集客に苦労したり、会場の運営者にご迷惑をおかけしたり、運営での至らなさあったけど、最終的にはよい会にできたし、大切なことを学ぶことができた。参加予定の人のことを考えて学びを最大化できるようワークショップを設計したりして、満足度の高い会にできたと思う。2回やって会の目指すべき方向も見えてくるようになった。
宗派を超えてお坊さんたちが集まる会はいくつかあるけれど、お坊さんだけだとどうしても、お坊さんの脳みそ“外”の発想は生まれない。よんななお坊さん会は、せっかく多様な人々と接続しているコミュニティなのだから、この社会との接点を存分に活用した会にしよう。ということで、
「お坊さんだけの会ではなく、お坊さんと仏教に関心のある公務員、ビジネスマン、学生、クリエイターなど多様な人が交わって、お互いの思考をぐっと拡張させられる場」というコンセプトにした。
自分の立ち位置としても、「仏教界とビジネス界の橋渡しになりたい」と思っているので、このコンセプトは自分の中ではとてもしっくりきている。ちょっとずつ連携しようという動きは芽生え始めているけど、まだ具体的なアウトプットは出てきていないので、今年は、どうやったらこの連携が実現できるのかということをしっかり考えて活動していきたいと思う。

10月。仕事で大きなターニングポイントがあった。これまでずっと隣で案件を一緒にやっていたトレーナーの寺田さんが異動になったのだ。まず普通に寂しかったし、案件も頼っていた部分があったので、不安も大きかった。後任に元ネット専業代理店出身でテレビ担当から異動してくる人が入ることになったのだけど、その人も前部署の引継ぎで全然入ってこれず、約1か月間、ほとんど一人で案件を回さなければならない状況になった。
これが今思うととてもラッキーな状況で、自分がやらないとどうしようもない状況になったことで気持ちが切り替わり、仕事に対して主体的に取り組むようになったし、周りに頼らなければどうしようもない状況で、頼りながらがむしゃらに仕事をしていく中で、少しずつ営業や運用担当と信頼関係を築いていくことができた。11月になり新しい人がようやく案件に入る頃には、もうほとんど自分で全てこなせるようになっていた。
この頃から得意先にも出ていくようになり、レポートやプレゼンの経験を積ませてもらえるようになっていった。
やっぱ、こうやって主体的に動けるようになってやっと仕事も楽しくなってくるね。10月は、仕事においてはかなり大きな転機になった気がする。上長からも、10月急成長して非常に頼もしく思っていると言ってもらえた。

あとそうだ、秋は「芸術の秋」「スポーツの秋」というけど、ちょうどその頃、音楽やアート、スポーツなどに対して尊敬というか、何と言うか、すごい!という思いが盛り上がった。
その想いはこのブログに熱く記されている。

note.mu

こういう感じ。

音楽、スポーツ、アート。こういうものに共通するものって何なんですかね。

“全身全力のエネルギーの結晶”

もっといい表現ある気がしますが、ニュアンス的にはこんな感じかな。
音楽にしてもスポーツにしてもアートにしても、どれも何かに全力で向かい合ったことが結晶となって、僕たちのもとに届いてるんだなと。
やっぱ人間だれしも、人が何か想い持って本気になってやってることに心打たれるんじゃないかと思います。
同じスガシカオの歌をなんぼ歌の上手いコピーバンドが情熱的に歌ったって、本人が歌うのには絶対勝てない気がします。

きっと、心を動かされるのって、たぶん、歌のうまさとか、スポーツでいえば勝った負けたとかそういうことじゃなくて、その人の人生そのものに なんだと思います。

人を元気にしたいとか、支えになりたいとか、少しでも思ってるなら、まず自分が全身全力で生きること。それが大事なのかなと。

色んな名言とか、仏教の教えとかも一緒で、そういうのって、きっと、言葉自体がすごいのではなくて、重要なのは、誰がどういう想いで言うかなのかなと思いました。

というわけで、“全力”と“表現すること”を心に置いてしばらく過ごしてみようかなと思っています。

 

 こういうことを少しずつ感じるようになっているのが今。生きざま!命燃やしたいね。

さて、そこから12月末までは、駆け抜けてきたなあ。仕事は超主体的スタイルになり、ガンガン既存のやり方を変えたり新しい提案をしたり進めていった。
社会人になってから「仕事楽しい?」って聞かれることがめちゃくちゃあったけど、今なら全力で楽しい!と答えられる。ちょっと前までは会社の悪口とか人の悪口とか言ってたよなあ。恥ずかしいね。

ちょっと話がそれるけど、会社を悪く言うときの気持ちの分析から、感情についてちょっと考えたことを。
怒りとか批判とかアマノジャクって、何かに対して自分が真正面からぶつかって傷つくのを避けるための対処法なんだと思う。めっちゃ抽象的であんまり伝わらない気がするけど。笑
自分が嫌な事されたときに、ただ受け止めるだけだと自分がみじめでつらいので、“怒り”という大義名分のもと自分を正当化し、傷つくのを防ぐ。
攻撃や批判もそう。何かしてる人に対して批判したりするときって、だいたいよく観察すると、自分が嫉妬してたりうらやましいと思ってるんだよな。そういうものに対して、批判できる部分を見つけて批判することによって、自分がみじめな気持ちになるのを回避する。
あとは、頑張ってる人を「意識高い系」といって揶揄するのとかも同じ構造。全部、自分が傷ついたりみじめな気持ちになるのを避けるためなんだと思う。
そりゃあ自分のことは守れた方がいいし、その方が安心して生きていけるはずだから、一概にそういう感情を否定はしないけど、たぶんメタ認知はしておいた方がいい。じゃないと成長できないと思う。僕もいつも忘れちゃうけど、日々自分を見つめなおして、より良い方向へと進んでいきたいと思う。

 

振り返りに戻って、11月、12月は仕事以外でも色んな人とのご縁に恵まれていたように感じる。新しい出会いもたくさんあったし、懐かしいご縁もあった。バーの一日店長やらせてもらったり、本当に楽しい日々だったなあ。。

「やりましょう!」

この一年、何回行ったか分からない。この一年で、自分としてもできることがめちゃくちゃ増えた。よんななお坊さん会を始めたことによる仏教界の繋がり、それから仕事を始めたことによるマーケティングの知見やデジタル広告の専門スキル。
去年の自分は、意識は高いが提供できるものは少なくて、去年の振り返りを見ても、自分の力不足を嘆いている様子が見て取れる。だけど今年は自分が提供できるものが増えた。そのことにより、出会った人と「やりましょう!」という会話をすることがとても増えた。
だけど結局、ほとんど実現できなかったなあ。次の1年は1つ、2つでも何か形に残せるようにしたい。これはマジで。

 

ふう、やっと1年分振り返れた。

こうやってまとめてみると、自分が過ごしてきた人生の充実度を改めて感じることができるし、確かに生きてきたんだと自分に自信を持つこともできる。
死ぬときまで書き続けて、本にでもしてもらって、孫やひ孫の代まで継いでいってもらいたいね。笑

 

最後に、最近考えていることを。途中にも書いたけど、2018年は、色々決め過ぎた1年だった。それで苦しめられた1年でもあった。
最近感じているのは、この世界は毎日めまぐるしく変わり続けているということ。自分の心も毎日めちゃくちゃ波があって日々変化しているんだと最近感じられるようになった。
調子がいい日もあれば、悪い日もある。仕事へのモチベーションが高い日もあれば、辞めたいと思う日もある。彼女のことが好きでたまらない時もあれば、全然そうでもない日もある。いろんな要因で心はめちゃくちゃ変わっていくものなんだよな。だから、ある時点で感じた感情とか思いに縛られる必要はないんだと思えるようになった。
「うっわ仕事もう年内で辞めよ。」って昨日思ってたとしても、今日仕事が楽しければ昨日の感情は気にしなくていい。常に今の心を観察して、過去の感情は気が向いたときに分析するくらいでいいかなと思ってる。
「うっわ仕事もう年内で辞めよ。」って思って転職活動始めた時期もあったけど、実際にエージェントと面談をする頃には転職の理由が全く思いつかなくて、???って気持ちになったりということもあった。

2018年は色んなもの(特にネガティブな感情)に囚われて、決め過ぎて、苦しんでいたので、今年はもうちょっと肩の力を抜いて、気楽に、新鮮な空気をいっぱい吸いながら過ごしたい。そうして、自分の心の声に耳を澄ませてみたい。

〇〇しなきゃ!という思考になったら、今こうして整理したことを思い出して、「本当にそれで大丈夫?」と問いかけられるといいね。

気楽に楽しく生きていこう2019!

いったん振り返り終わり。