大事な人の話

最近、友達と「幸せ」について話す機会があった。その友達は自身の幸せ観についていろいろと説明してくれたのだが、僕はそれに対してなぜか何らかの言葉も返すことができなかった。というより、返そうという気持ちがあまり起きなかった。

1年くらい前までは、幸福論を説いた本を読んだり、幸せに関するイベントに参加したり、「幸せオタク」ともいえるほどに、幸せとは何なのかということに強く関心を持っていた。

そんな僕なのに、なぜかこの前の幸せの話には、心が動かなかったのだ。これはどういうことなのだろうか。

そこで改めて気持ちを整理してみた。

その結果、「幸せ」についてあれこれと考えることが、今の自分にとってはやや遠い関心ごとになっているということに気がついた。

つまりこういうことだ。

 

僕は今、めちゃくちゃ幸せなのだ。

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僕が今、めちゃくちゃ幸せなのには、たぶんいくつかの理由がある。いくつかあるのだが、今日はその中でも間違いなく大きな要因の一つになっていることについて、書いてみたい。

 

去年の12月11日、僕は彼女ができた。

11か月記念日である今日まで、たぶん好きの気持ちを更新し大きくし続けながら、仲良くさせてもらっている。

こういう気持ちは多分人生で初めてだ。(そもそも恋愛経験があまり多くないのだけど。)

おかげで今、めちゃくちゃ幸せなのである。

 

だけど、この前彼女を悲しませてしまった出来事があった。

なんでそんな話になったのかははっきり覚えていないけど、彼女が「私の何が好きなの?」と聞いてきた。

それに対して、僕は思うように答えられなかったのだ。

「いやあ、なんだろう、、、存在?いてくれるだけで嬉しいというか、なんというか。」

そんな曖昧な答えをした僕に対して、彼女は不安になったようだった。

僕も話していて「彼女の期待しているものに応えられていないな。」という感じがあったのだけど、僕は本当に、ただいてくれるだけで嬉しいと思っていて、それ以外の、それ以上の言葉が見つからなかったのだ。

あと、この好きの気持ちを細かく分解して一つ一つ説明するのは野暮に感じて、それもしたくなかった。

彼女と付き合う前には「好き」って何だろうと思って、好きの気持ちを要素分解して分析するツールを開発して、色んな人にアンケートして回ったりしていたのだから、えらい変わりようだと、自分でも思う。笑

ちなみに僕の5つの好き要素は、外見、抱きしめたさ、人としての成熟度、女の子らしさ、そしてピュアエネルギーである。

この基準で言うと、彼女は全部を持ち合わせていて、付き合う前はそれが見事にはまって魅力に感じて、飲みに行く仲になった。

だけど付き合った後は、そういう要素ももちろんなのだけど、もっと違う次元の感情に変わっていった感じがある。それを言葉で表現すると、「存在が好き?」みたいな感じのよくわからない表現になってしまうのだけど、そんな気持ちだ。

 

さて、今日はこの気持ちを探る一つのアプローチとして、

「この子すごいな。愛おしいな。」

と思った瞬間を、エピソード形式で三つセレクトして挙げてみるということをしたい。

 

1.中板橋の定食屋にて

中板橋に、腰の曲がったおばあちゃんが一人で切り盛りしている定食屋がある。

綺麗で洗練された場所よりも、ちょっとぼろくて雑然としていて、でも味がある場所のほうが好きな僕たちは、古い定食屋などは格好のデートスポットになる。

ここに行ったのは、4月くらいかな。中板橋は桜の名所でもあるので、夜のお花見も兼ねて、訪問した。

お店入ると、お客さんは女子大生と思しき女の子が一人。カウンターにちょこんと座って、おばあちゃんと仲良さげに話をしている。

「こういう光景も、こういうお店ならではだよね。」なんてにやにやしながら片耳で会話を聞いていたのだけど、よく聞くとなんだか話は深刻そう。悩み相談のようにも聞こえる。

僕らが注文したメニューが出てきて、食べ始めたのだけど、途中から女の子がすすり泣く声が聞こえる。もう気になってしまって、静かにご飯を食べながら、一緒に耳を澄ませて話を聞いていた。

どうやら悩みの原因は、地方から大学進学で上京してきたものの、思い描いていた大学生活とは少し違っていたこと、そして友達もあまりできず、ホームシックになっているということのようだった。

僕らもお互い上京勢だったので、気持ちはわかる。特に彼女は、自分も同じような心境だった経験があるらしく、もう気が気じゃない様子。

僕らがご飯を食べ終わっても、まだその子は帰る様子がない。なんとも言えない気持ちになりながらも会計のために席を立ち、戻ってくると、彼女が何かを書いている。

手元を隠そうとするので何を書いているのかわからなかったが、それを書き終えるとおもむろにその子のもとに駆け寄り、その紙を渡した。

すると、すでに涙でぬれているその子の顔がさらにぐしゃぐしゃになり、声を出して泣き始めた。

一瞬何が起こったのかわからなかったが、すぐに何を渡したのかがわかった。

それは、一人上京して孤独と戦う彼女へのメッセージと、自分の連絡先だった。

「私も昔同じ状況で苦しんだ経験があるので、力になりたい。いつでも頼ってね。」と。

 

こういう場面に遭遇して、何かしてあげたいと思うことはあっても、実際に行動に移すことは難しい。

それができる彼女を素直にすごいと思った。

その定食屋を出た後、二人で中板橋の川沿いを歩きながらいろいろ話したことは、今でも心に強く残っている。

 

ちなみにその後、実際に二人でランチに行って、色んな相談に乗ったらしい。

「俺も一緒に行くよ!」と言ったが、

「こういうのは、女二人で話すからいいんだよ。」と断られてしまった。

好きだ。と思った。

 

 

2.映画「怒り」を観て

彼女はめちゃくちゃ涙もろい。すぐに泣く。今まで会った人の中で、一番泣き虫だと思う。これはもう、彼氏としては、最初のうちはなかなかに戸惑わされた。

だけど最近わかってきたことは、彼女は弱虫ではないということだ。弱くて泣いちゃうというよりは、共感力が高すぎて、すぐに涙が出てきてしまうのだ。

例えば、出会って初めてデートをした日。彼女はLGBT問題に課題意識を持って活動しているのだが、その話をしているときにも、感情がこもりすぎて泣いていた。最初にそれを見たときは、なんてピュアでまっすぐなんだろうと心打たれたのを覚えている。

さて、この前、六本木で開催されていた東京国際映画祭に行った。目当ての作品は「怒り」。上映後、なんと監督と宮崎あおいトークセッションがあるというので、彼女はこの映画を見るのは三度目だったが、僕は観たことがなかったということもあり、行くことにした。

この映画については別のブログで書こうかと思うくらい色々な考えが渦巻いたのだが、彼女はというと、三度目に関わらず(案の定?)号泣していた。

同じ映画を三回観て、毎回泣けるというのは僕にとってはちょっと理解できないのだが、まあそれはそれとして、そのあとにあれこれと考えたことを議論した。

犯罪についての話になったときに、彼女が最近許せなかった事件として、元TBSの記者が女性を強姦し、女性が声を上げ話題になっている事件の話をし始めた。

僕もそのニュースのことは知っていたが、男性と女性、どっちが本当のこと言ってるのかわからないなあくらいにしか感じられていなかった。

だけどよく考えてみれば、被害者の女性が実名と顔をさらしてまで声を上げるということが、どれだけ覚悟のいるものだっただろうか。これだけ世の中に出て、彼女はこれからの人生、「被害に遭った女」として見られてしまうだろう。それをしてまで声を上げたのには、どんな思いがあったのだろうか。こういう被害に遭って、泣き寝入りする女性もきっとたくさんいるんだと思う。そういう人たちの声の代弁者として、この女性は立ち上がったのだと思う。

そんなことを話しながら、彼女はまた涙を流していた。

「世の中のこういう不条理がまかり通っているのが許せない。気持ち悪すぎる。」と。

 

だんだん彼女の涙を見慣れてきていたんだけど、僕も映画を見た後だったからか、思わずもらい泣きしそうになったし、はっとさせられた。

清らかすぎるゆえの危うさを感じながらも、素直にすごいと思った。

守らねば。と思った。

 

3.沖縄のタクシー運ちゃんとの出会い

たまに、男女問わずみんなに好かれる人がいる。彼女もそういう人種だ。別に贔屓目に見ているわけではなくて、客観的に見てもそう思う。だんだん「何書いてるんだろう俺」みたいな気持ちになってきたが、続けよう。

「同性の友達が多い人は、恋人として信頼できる。」とよく言うけど、彼女は同性の友達がめっちゃ多い。何人かその友達にも会わせてもらったりしたけど、とても信頼されているようだ。あと、後輩にもめっちゃ慕われている。

僕の友達にも何人か会ってもらったけど、みんな彼女のことが好きになる。会った後にわざわざいい子だね!とメッセージをくれることも結構ある。気づいたら紹介した友達と僕抜きで遊びに行ってたりとかもあった。

あと、これは僕からしたらあまりいいことじゃないんだけど、付き合ってる今でもめちゃくちゃモテる。色んな男たちが誘ってくるらしい。この前もその件で喧嘩した。だけど最終的にその時考えたのは、「多分自分も違うタイミングで出会ってたら、彼氏いても結局好きになってたかもなあ」と。笑

人当たりがいいし、やっぱりなにより、ピュアでまっすぐなところは本当に魅力的だと思う。

さて、そんな人ったらしの彼女の本領が発揮されたのが、僕の誕生日の時に行った沖縄旅行。

僕が諸事情あり車を運転できない身だったので、公共交通機関やタクシーを使った出会いの多い旅になった。

色んな人によくしてもらったのだけど、特に印象的だった出来事がある。

本島南部にあるガンガラーの滝という原始人の遺骨が発掘された場所に行った帰り、タクシーに乗ったときのこと。

気難しそうな運転手だったんだけど、お話していくうちに打ち解けて、人の少ないビーチとか、地元の人が愛するてんぷら屋さんとか、観光ツアーばりに色んな所に連れて行ってもらった。

しまいには、目的地に着いて別れた後に「夜また合流して行きつけのミュージックバーで飲もう!」と誘われるまでに。

ベーシストでありドラマーだというおっちゃん行きつけのミュージックバーは、愉快な店主とフレンドリーなお客さんが溢れる良い場所だった。仲間のミュージシャンも急きょ呼んで演奏してもらったり、ごはんまで奢ってもらったり、至れり尽くせりの一日だった。

 

と、ここで言いたいのも、きっと彼女じゃなかったらこんなに良くはしてくれなかっただろうなあということ。

最初はすごくぶっきらぼうで、自分だったら話しかけられてもまず適当に流していたであろうところを、彼女が丁寧に話を聞いてくれたおかげで、打ち解けることができた。

どんな人とも丁寧に接することができ、とてもフラットな目線を持っているのも、彼女の魅力の一つ。

自慢の彼女だ。

 

 

さて、見切り発車で始めた文章だったけど、そろそろ終わりにしよう。

そもそもこれを書こうと思ったのは、11月13日が彼女の誕生日だから。

いつも何か節目のタイミングでは手紙を書いているけど、今回はちょっと嗜好を変えて、ブログ目線で彼女への気持ちをつづってみた。

伝わったかな?こういうところが好きだよ。と面と向かって言うのができなかったので、色んなことを思い出しながら、自分の中で印象的だった出来事を三つ選んで書き出した。

ま、僕としても彼女のすばらしさを再確認できたので、良しとしよう^^

泣いてるかな?泣いてたら成功です。笑

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ちょっとしたサプライズとしてこの場を使わせてもらいました。もし万が一これを読んでいる彼女以外の方がいたら、あーノロケてんな。と思って暖かい目で見てやってください。

 

終わり