2019年振り返り【10,000字超】

毎年大晦日の恒例となった1年の振り返り。今年もやる。先週竹田の家で仲良しメンバーを集めて振り返り会をした。やっぱりいいね。振り返ることで自分の1年間のあゆみが改めて感じられるし、他の人の振り返りを聞いていても気づきが多い。

さて、今年はどんな一年だったか。最初の感覚としては「あまり進歩のなかった停滞した1年だった」という印象。しかし1月からよく振り返ってみると、波乱万丈阿鼻叫喚、なかなかの激動の一年になっていた。特に1−3月。そういや3月くらい、この大晦日の振り返りが楽しみだなあとか考えてた気がする。それくらい色々あった。順番に振り返っていく。あっ、ふるさと納税しなきゃ。ダッシュで書こう。

まず1月。1月が一番激動だった。昨年の後半頃から、当時付き合っていた彼女とうまくいかなくなって、クリスマスで距離を置くことを決めて、1月の半ばくらいに久しぶりに再会した。別れ話をするのかしないのかもわからなかったし、距離を置いているときはほとんど思い出しもしなかったので、あまり何も考えずに会いにいった。室内は嫌だったので上野公園で。結局、別れ話になった。お互いに一緒にいることが難しくなったというのが要因なのかな。友達に別れた理由を聞かれても説明が難しかった。一緒にいることで元気が湧いたり、成長したり、プラスに働くことはたくさんあると思う。だけどそれと同じくらい、一緒にいるからこそ生まれてしまう、マイナスな側面ー 嫉妬や怒りや不安 もある。そうしたものが、少しずつ積み重なっていって、そっちの方が大きくなってしまった。それで疲弊した。お互いのことは嫌いになってないけど、無理に恋人の関係でいる必要ないかもね。友達という関係でいた方が、お互いにいい関係でいられるかもね。そんなような話をして、別れることにした。僕はその当時、かなり疲れて感情が薄れていたので、別れることになっても悲しまないだろうなと思っていたのだけど、結局号泣した。彼女に会う前、「夕方くらいには終わるだろうから終わったら本を読もう」とリュックに3冊くらい本を積んでいたけど、肩にずっしりと重い荷物にしかならなかった。とにかく歩きたくなって、上野から歩いて家まで帰ったことをよく覚えている。
それからというもの、心にぽっかりと穴の空いたような気分だった。胸がスースーして仕方なかった。別れて時間がたくさんできるから、本を読んだり自己投資しよう!と意気込んだが、読めども読めど1文字たりとも文字が頭に入ってこない。生活のあらゆる部分に彼女が入り込んでいたことを知った。服、カバン、音楽、あらゆるものから思い出が想起される。街に出れば、駅、公園、カフェ、ラーメン屋にまで奴が現れる。ああ、この家系ラーメン、一緒に食べたなあ。卵はいつも最後に、だったな。
これまでの生活がガラリと変わると、いつもの何気ない風景が輝き出す。あらゆるものが目新しく新鮮なように感じられ、世界がエモさを含んだセピアな輝きに満ち、何でもないのにふと涙が流れそうになることが多々あった。このときは、友達とラインをしたり朝活をしたり、いろんな人に支えられた。そのおかげで、徐々に立ち直っていった。

さて、今年の目標は「決めすぎないこと」だった。去年のブログの最後にもそう決意している。世界も自分も不変ではなくコロコロと移り変わっていくのだから、あるタイミングのある世界の中で決めた目標を厳密に守っていくことは、むしろ自分を縛り付ける足かせになってしまう。目標を持つことはいいことだけど、決めすぎない。その時々で自分の心の声に耳を澄ませ、柔軟に、流れる水のように過ごしていく。それが今年の目標だった。
そして2019年早々、この目標が活きる時がきた。

「自己研鑽に励もう!」これが彼女と別れた後すぐの目標だったわけだが、どうにもそれどころではないほどの喪失感があった。全然勉強できない。なんも集中できない。だめだ、この胸に空いた穴をまず埋めなければならない。埋めなければ死んでしまう。その思いで、Pairsを始めた。心の声に耳を澄ませたのだ。とにかく、何かせずにはいられなかった。
とはいっても、所詮はマッチングアプリ。合コンですら絶対に行きたくない性格だ。マッチングアプリで本当にいい人が見つかるなんて思っていなかった。気の紛らわせだ。でもこういうアプリは楽しい。夢が広がる。ひとこと欄には、「一緒に朝活してくれる人募集中」と書いた。これも戦略である。朝でも爽やかに出会えるような素敵な女性が見てくれたらいいなと思った。そしてアプリを始めて1週間、僕は自分史上最高のブランチを過ごすことになる。
プロフィールには、デザイナー、海外大卒、都内メーカー勤務、などといった文字が並んでいて、恋人探しというより、意識高いセンサーが反応して、メッセージを送った。経歴が面白そう。普通に話してみたい。そんな感じ。写真がめちゃ可愛かったので、僕なんかに振り向いてくれないと思ったけど、なぜかマッチングできて、表参道でブランチすることに。待ち合わせ場所には、写真通りの素敵な女性がいた。女子というよりは、女性。僕より歳は一つ下だけど、大人びた雰囲気を纏った女性だった。会話がめちゃくちゃ合った。というより、誰とでも楽しく話ができる人なのだろう。高校からロンドンで過ごし、芸術系の大学を卒業しているらしい。そのせいか、価値観や思考回路が僕の周りの世界の人とは少し違う感じがして、新鮮で楽しかった。実家のお寺の話をしたら「仏壇って、もっとデザインできないんですかね?」とか「釣り好きの祖父の葬儀で魚を棺に入れて焼き魚にしました。」とか、なんかわからないけどすごい盛り上がって嬉しい気持ちになった。そのあと一緒に国連大学前のファーマーズマーケットにいって、一緒にクラフトコーラを飲んだ。生姜とゆずの甘酸っぱい味。これが忘れられない思い出の味になるとはこの時は思いもしなかった。
流石にしばらくは彼女を作る気持ちになれなかったので、素敵だったけど、本当可愛くていい友達という感じで、付き合うつもりはその時は全くなかった。その証拠に、自分でも信じがたいがこの日の最後に「いや〜ついこの前彼女と別れたんですが、いいリハビリになりましたわ。あざーっす!」とほざいていたらしい。我ながらアホすぎ。。。ごめんね。

その日が相当楽しかったので、その後そんなにしないうちに何度か会った。飲みにもいった。一緒に飲んだ日の夜、駅のホームで勝手にエモくなって、「なんか、本当にありがとうね。」と伝えたら、全力の笑顔で「気持ちわるーい!」と言われた。2019年のベスト気持ちわるいを頂いた。あざす。もしかしたらその頃にはもう、ちょっと好きになっていたのかもしれない。そうしてその次のデートで付き合うことになった。まじで、告白するとは自分でも全く思ってなかったけど、このタイミングを逃したらただの友達になってしまう、と思って、流れで告白した。前の人のことが忘れられていたわけではなかったし、もうちょっと待って欲しいとも言えたけど、なんの道理があって相手に待たせる権利があるのか、みみっちい!と思い至り、そういう葛藤も全部話した上で、告白した。何時間か検討していただいた末、OKをもらえた。
どうなるかわかんないけど、とりあえず付き合ってみようよ。いかにもミレニアム世代っぽいスタートで、新しい生活が始まった。

さて、まだ2月で3000文字弱。このペースで行くと2万字だ。卒論かよ。まあ大丈夫、5−10月くらいはまーじで低調な日々になる。

その頃、仕事は1年目も終盤を迎え、大きな仕事ができるようになっていった。担当するクライアント先で、来期のデジタル施策が書かれたA3の紙を数枚を広げられ、ざっくばらんに議論しましょう、というような相談もいただいた。僕らは基本的にはあくまで広告の領域でのお手伝いなので、マーケティングの全体像を共有してもらって、広くご相談、という場を設けていただけるのは非常にありがたいことだった。またとないチャンスと思って、全力で打ち返すべく尽力した。いろんな人に頼らせてもらいながら提案書を作っていったが、やっぱりどうしてもお客さんが期待してくれているほどのものは返せなかった。完全なる力不足だ。広告の部分最適な提案はできても、全体の大きな絵を書くほどの知識も経験もまだなかった。悔しかった。だけど、もっと広い世界に向いて仕事をしようと思えるようになった良いきっかけになったとは思う。

それから、3月は会社でアワードというものがあった。社長賞や部門賞、新人賞などその1年での成果が表彰される機会だ。入社した時から、新人賞を目標に頑張っていたので、エントリーの資料は作り込んだ。いろんな人にアドバイスをもらいにいった。絶対に賞を取りたかった。仕事以外にもお寺の活動とか、社外でいろんなことをやっていきたいと考えていたので、それをやるためには新人賞のようなわかりやすいラベルが必要だと思ったのだ。君さ、社外で色々やるのはいいけど、本業ちゃんとやってんの?みたいに思われるのが嫌だった。仕事も全力でやってる上で、社外でも活動してると思ってもらいたかった。結果、無事に最優秀新人賞をもらうことができた。もちろん自分自身も頑張ったけど、それ以上に周りの人によくしてもらって、たくさんチャンスを頂けた結果だと思う。
そういや副社長にその日の夜、「お前は辞めるなよ?新人賞とったやつはだいたいすぐ辞めるんだよ。」と言われたが、よもやその半年後にその言葉通りになるとは。。。自分でも予想していなかった。

4月。初配で配属された部署が解体になった。そもそも会社が3月に経営統合されたりいろんなことがあったんだけど、お上のことは現場にとってはあまり関係がなくて、部署が解散になったことが僕にとっては寂しかった。飲み会なんてほとんどないし、決して仲良しな部署ではなかったけど、各々が意識高く自分の仕事に取り組んでいて、自立した落ち着いた空気があり、学ばせてもらっていたし刺激をもらえる良い環境だった。
異動した部署は、それとは打って変わってとても仲がよく、サークルみたいな雰囲気の部署だった。馴染めなかった。目の前においた大きなスクリーンに身を隠す隠遁生活が始まった。

5月。2年目になり、担当する案件は倍増し、ますます忙しくなっていった。序盤は高いモチベーションで頑張れていたが、徐々に息切れしていくことになる。こんなことを思うのは、社会人になって初めてのことだった。「早く帰りたい。」
いろんな理由がある。めちゃくちゃ忙しくなったこと。その一方で、仕事は慣れて心には余裕が出てきたこと。信頼できる先輩が周りにいなくなったこと。社内で一番尊敬していた先輩と同期がやめたこと。いろんな状況が重なって、モチベーションが下がっていった。

中でも一番大きかったのが、消費財メーカーの案件で一緒に仕事をすることになった営業さんとの関係に悩まされたことだ。40歳くらいで独身。朝遅めにきて毎日深夜まで残業。言い方は悪いが、いわゆる「仕事しかない」人だった。性格が悪いとか仕事ができないとかでは多分ないんだけど、根本的に仕事に対する考え方が合わなかった。3で済むところを10やろうとする。10やろうとするから対応が後手に回る。生産性、効率という観点が抜け落ちていた。組織としての役割分担とか、立場的な難しさとかがあって、客前に出て仕切らせてもらうこともなかなかできなかった。最初はどうやってこのおじさんを攻略するかと考えていたが、次第に出来るだけこの人との仕事の時間を減らそうという方向に変わっていった。とにかく時間が勿体なさすぎた。僕の前任でこの仕事をやっていた先輩女子は、私の貴重な20代の時間を返してほしい!とよく話していた。こんな記事があった。どうやら世の中みんなこれで戦ってるらしい。

とはいえ仕事を投げ出すわけには行かない。出来るだけ関係性よく、効率もよく仕事を進められるように工夫を凝らした。よく言い合いもした。戦った。そうしていつの間にか、全然本質的じゃないところで消耗していった。自分のいいところが全然活かせてないと思ったし、配属の采配クソだなとなんども思った。その度に「他責にし始めたらやばい。自責思考だ。」と思い直して頑張ったけど、どうしてもうまく行かなかった。

やり場を失った成長意欲や前向きなモチベーションは、会社の外へと向かっていった。友達とベルト専門店を始めたり、お寺で婚活イベントを企画してみたり、仲間に誘われてアイデアコンテストに出てみたりした。結局、全部うまく行かなかった。何かを始めるには、魂を込めないと立ち上がらない。片手間でできることなんてほとんどないんだなというのが、この時の唯一の学びかな。関わった人には申し訳ない気持ちでいっぱい。落ち着いたら、また少しずつ進めていきたい。

こんな感じでうだうだやっていたのが8月くらいまで。こんな感じの日々だったけど、なんとか楽しくやれていたのは、2月に出会った彼女のおかげの部分が大きい。ほんとにびっくりするくらい穏やかで幸せな日々を今まで送らせてもらっている。ある休みの日、何やら大きなビニール袋を下げて彼女がうちにやってきた。え、何買ってきたの?と聞くと「パンケーキの材料買ってきた。明日の朝焼こうと思って。」とのこと。そんなありえない出来事がしばし起こった。卵をジューと焼く音で目覚める朝。そんな日が僕に訪れるなんてーーー。
センスがよくて色々整っているので、乱れきった僕の部屋はすぐに大改造ビフォーアフターされた。デカイ本棚と勉強机とベットを買った(買わされた)。
「掃除?はあ?掃除なんて、してもしなくても自分自身のスキルや能力には全く関係ない。であれば、掃除する時間で本読んだ方がいいだろ。」
そんな僕を、人間にしてくれたのも彼女だ。掃除や家事の大切さに気づけたことは、僕の今年最も重要だった学びの一つだ。

それから8月は医療団体のセミナーに呼んでもらって、お坊さんの立場としてACPの話をする機会を頂けた。きっかけは3年前くらいからずっとお世話になっているよんなな会の脇さんの会。そこで出会ったお医者さんと医療メディアの人と話していて、たまたま人生会議の話になって、卒論でそのテーマを扱ったことを話したら、お坊さんの立場から彼らの主催する勉強会で話題提供させてもらえることになった。医療関係者ばかりの前で話すのは少し気が引けたけど、改めて自分の頭の中を整理する機会になったし、想像以上に興味を持ってもらえて質問やディスカッションが盛り上がったのでよかった。名刺交換の行列ができた時はめちゃ嬉しかった。チャンスはある。やっぱりこの領域頑張りたい。正直今はまだ本当に心入れてやるほど関心が強くない(自分ごと化できてない)のだけど、いつか本気で取り組みたい。今年は医療業界の人と多く繋がりを持てたのがよかったなあ。

そのあと、8月末は仏教の通信制学校の最後のスクーリングだった。やっと終わった。毎月のレポートは、たかが月3、されど月3で、2年間仕事しながら続けるのは大変だった。なんとかやりきれた。少しずつ、教えの全体像が見えてきた気もする。少なくとも前には進んでいる実感がある。
少し話は飛ぶが、今回のスクーリングでの一番大きな学び。それは、僕はずっと自分が「根がポジティブ」だと思ってそれが強みだと思っていたけど、実はそれよりも前に「根が傲慢」だった、と気づいたということだ。「根が傲慢」。パワーワード。授業で先生からとある指摘を受けて、そこから感じるようになって、結構自分の中でしっくりきちゃっている。
基本的にどんなことでもなんでも前向きに捉えられるし、会社では周りの人に負けない・今は勝てなくてもすぐ追い越せると思ってる。そのポジティブな姿勢が前のめりなチャレンジ精神を生み出してくれてるのだとは思う反面、それで本当は学べるはずのことを見逃していたり、周りの声を聞き逃したりしていた気がしないでもない。多分新人賞とってから、少し気が大きくなってたんだと思う。具体的に書き出すとこんな感じか。
・何かに対してわかったつもりになる
 →わかってると思うとそれ以上に学ぼうとする姿勢が薄くなる。
・周りの人から学び取ろうというより、学び取れるものはないと思い込む。
 →能力や経歴など外見で判断してしまって、人をちゃんと見れなくなる。
・ミスることはあっても本質的には間違ってないと思い込む。
 →アドバイスを心からは受け入れないし、変わるチャンスを失ってる。

そしてその雰囲気は、実は周りに伝わっていて、この前の振り返り会でこの事を話したが、やっぱ感じてる人は感じてた。たまーに同じようなことに気づいて内省するんだけど、すぐ忘れちゃうんだよな。
「根がポジティブ× → 根が傲慢」と言語化できたのが今年1番の学び。これから定期的に思い出していきたい。

9月は決断の月になった。転職をする決断だ。8月末くらいに思い立って上長にメールを入れてみたことから一気に事が進んでいった。すぐに面談をしてもらって、仏教のスクーリング中も悶々と考えた。でも結局、悩み始めた時点で答えはもうほぼ決まってたんだよな。やめるという相談をしてからすんごく色々考えて迷った。この話は書くのがあまり楽しくないのでここでは書かないが、別の機会に気が向いたら書きたい。でも辞めると決めてから、すごく色んな気づきがあった。これまで習慣化され固定化されていた会社での日々に揺らぎが生じることで、周りの人も変わって見えたし、自分自身の心も色んなことを感じるようになった。それはなかなか面白い経験だったと思う。
それにしても、辞める前はいわゆる退職エントリを書こうと思って頭の整理したり準備してたんだけど、11月から有給を使って新しい仕事に入るにつれ、まーじでどうでもよくなっていった。人生を前に進めない行為に意味はないですな。さっぱり。

それから、9月は誕生日。25歳になった。最近驚くのは、サッカー選手で25歳だと、もうキャプテンマークを巻く人が出てくるということ。まじかって感じ。基本的に下っ端の立場である事が多いので、リーダーシップを求められる場面があまりない。同年代の選手がキャプテンやってるのとか見ると、結構焦る気持ちになる。自分がとてつもなく小さい世界で生きているような。今年も立場的には下っ端でいる事が多いと思うけど、出来るだけリーダーシップ発揮できるようにしたい。恩師の東の食の会の大就さんが「自分が行く全ての場所でリーダーシップを取る、と決めておけば簡単だよ。」といっていたのを思い出す。無理と思わず頑張ろう。

誕生日は彼女と台湾に行った。僕も彼女も台北には行った事があったので、今回は台中と台南に行くことに。台北九份がすごく楽しかった印象があったから、正直こっちはそんなに期待してなかったけど、めちゃくちゃによかった。アイリープ同期のむっちゃんが台湾で仕事を始めたので、むっちゃんに色んな場所を案内してもらったのもよかった。おかげでディープな台湾を味わう事ができた。あとお金も借りれた笑 二人とも海外でお金が下ろせないという謎のトラブルあり、初日夜はめちゃ疲弊した。でもそこでなんとか辿り着いたブルータスに載ってた料理屋でめっちゃおもてなししてもらったのいい思い出。あと懇丁もよかった。台湾随一のリゾート地で、リゾートの良さを知ってしまった。2万弱くらいで最高級のホテルリゾートに泊まれて、超広い部屋でリッチな気分味わうのいいね。海外旅行の新世界を見た感じ。今まで興味なかったセブとかバリとか急に行きたくなった。2020年はどこに行けるかな。あ、あとは仏教テーマパークか。楽しかったけど、1番の目当てだった洞窟が閉まっちゃっててまじ後悔。死ぬまでに必ずリベンジしたい。
彼女はどこに行っても、キャッキャはしゃぐって感じではないけどニコニコ楽しそうで、一緒にいて幸せな気持ちになる。夜、プライベートビーチで海と星見ながら語れたのよかった。最終日の夜、ホテルで僕のパジャマを我がもの顔で履き、夜市で買ったタピ吸いながらベッドでスマホいじってるの見て、なんかわからんが、めっちゃ好きーつれえ〜ってなってめっちゃ写真撮った。

さて、いよいよ振り返りも終盤。10月以降は怒涛の3ヶ月だった。まず転職。社長の小川さんには、実は3月くらいから誘ってもらっていて、その時はまだ社名も決めたばかりで、事業も何にするか定めきれていないような状態だった。だけどそんなタイミングなのにどストレートに誘ってくれて「変態のユートピアを作りたい」「今は秦くんと忍者に声かけてる」とかなんかはっきり覚えてないけど、すごい楽しそうだと思った記憶はある。指標の話はしてた。人間の欲望に目を向けず綺麗事をいうのではなく、欲に浸ってじっくり受け入れ、その上で人が動く力学を見定め、正しい指標を設計していく。めちゃ共感するし面白い世界観だと思った。ここで働いたら、お坊さんとしてもより濃い経験を積めるという直感があった。

その時は流石にまだ代理店でやりたい事がたくさんあったので決められなかったけど、その後Hakaliも色々なフェーズを経て、改めて9月くらいに声をかけてもらった。というか僕からアポお願いした。そしたら「お、準備できたか」って感じで呼び込んでくれた。

どの選択が自分に取って最善か、打算的な思考含めて色々と迷ったりしたけど、結局最後はシンプルに心の声に従って決めた。計算より感情。ワクワクする事したい!それに尽きるなと思う。facebookの投稿は割と短い文章になったけど、ほとんどそこに凝縮した。あれこれ書いたり消したり、作るの半日くらいかかった。今までで一番いいねがついたのは、応援してくれる人がたくさんいるんだという事だな。ありがたく受け止めよう。

 そうして12月。この1ヶ月は、ここ数年で1番早く過ぎ去った1ヶ月だったと感じる。1週間がまじで早くて、気がついたら年納めになってた。
・土日とか考える暇ないくらいとにかく楽しい
・全てがわからなくて新しい事なので、勉強しながら仕事してたらあっという間に1日が終わってる
・社長に付いて回ってる分アポも多くて、余計に時間がすぎるのが早い
って感じで濃密でスピード感溢れる日々を過ごしている。何もできなくてサバイバルな毎日だけど、なんだかんだで1ヶ月前は想像もつかないほど色んな事ができるようになったし、それ以上に学びたいことができた。
おじさんベンチャーで、数多の戦場を渡り歩いてきた猛者ばかりの中、僕なんかに声を掛けてくれた真意はいまだによくわかってないけど、その賭けを正解だったといってもらえるように頑張りたい。社長やメンバーにもちょっとずつ認めてもらえるようになってきて、1月からは研修生じゃなくて戦力として働けそうだとも思えている。楽しみだ。
12月の学びは、書き始めたらここまでの振り返りと同じくらいのボリュームくらいで気づきが書けちゃいそうなので、それは別の記事で書くとしよう。タイトルはこんな感じにしたい。
ExcelのVlookupもわからなかった僕が、○ヶ月で○○ができるようになるまで。」
一回やってみたかったんだよなーこういうの。書くの楽しみ。

 さて、最後に2020年の目標を。。。
 今年(もう年越したw)の抱負はズバリ、「喫粥了(きっしゅくりょう)」だ。
禅の言葉。一昨日くらいにふと浮かんできて、これだこれしかないと思った。柔らかく言えば、「丁寧に生きること。」
今年からBAR PORTOで1日店長をやらせてもらえるようになった。それで坊主バーのメニュー考案のために禅の言葉をよく調べるのだけど、そこで見つけたのが「喫粥了(きっしゅくりょう)」という禅の言葉。「おかゆを食べたら器を洗いなさい。」ただそれだけの言葉なんだけど、これが妙に心に残っていた。なんだか大事なこと全てがそこに集約されているような感じがした。
作って食べて片付ける。これは遥か昔から変わらない。食べることが当たり前ならば、そのお茶碗を洗うことも当たり前。当たり前のことを、しっかりできていますか?と問われている。

最近は色んな自己啓発本が出てきたり、仏教では禅やマインドフルネスが流行っている。そこで語られるのは、大きな話や目を引く内容ばかりだ。マインドフルネスだーといってその時だけイマココをして、整ったー!集中力が高まったー!とか言ってても、結局デスク散らかして、家ではグータラして脱いだもの食べたもの散らかして、ってしてたら全然意味がない。自分の都合の良い時だけやる行いや効果はきっと定着せず、いつか忘れていってしまう。
新しいライフハックが出たらまた飛びつくような、そんな次元ではなく、もっと根源的なところ。自分を根っこから見つめ直し続けていくこと。日常の中のあらゆる場面で、自分を真ん中に立ち戻らせてくれる行い。それが喫粥了の生き方なんだと思う。多分、これができない限りは何をやっても絶対に進めない境地がある。逆に言えば、これができれば世界が変わる気がする。なんでこんな風に思ったのかはわからないけど、直感的にそう感じる。
ヌメッとした自分から、清流のような自分へ。すぐには変われないと思うけど、積み上げていきたい。なんだろう。そこを目指したいと思えるようになっただけで、すごく心がスッキリしているのだ。昔にはなかった落ち着きが自分の中にあるように感じる。いい感じ。

いやはや、年末年始はいつもこういう振り返りをするけど、本当にいい時間になっている。めちゃくちゃ色んなこと考えられる。正月最高。

この「正月気分」が抜けないように、日々の当たり前の行いを通して立ち返っていきたいと思う。

今年も頑張ろう。去年の僕に戻ってたら、指摘してやってください。