京都のお寺カフェ 佛光寺D&Departmentに行った
京都に一週間旅行に行っていました。
一週間も行っていると、毎日観光しているだけでも飽きるので、カフェでゆっくりする時間が多くありました。
京都で行きたかったもののひとつが「寺カフェ」。
お寺の中でカフェをやる寺院が増えており、東京にもいくつかお店はあるのですが、今回せっかく京都に来たのでぜひどこか寺カフェに行ってみたいと思っていました。
そこで「京都 寺カフェ」と検索すると上位にバババっと出てきたのが「佛光寺D&Department」というお店。なにやら京都造形芸術大学とまちづくり会社D&Dが共同で運営しているカフェなんだとか。
さらに注目すべきは、その佛光寺が、浄土真宗仏光寺派の本山だということ。
行ってきました。
佛光寺の境内の中に、おしゃれな雰囲気を醸し出しているカフェとショップがあります。
店内はこんな感じ。普通におしゃれなカフェ。
というか、それ以上にメニューとかにも相当なこだわりが感じられます。何度も通ってみたくなるような感じ。人も少なくて、とても落ち着く雰囲気です。
写真には写っていないですが、中央にはお仏壇があり、私達を見守ってくださっています。笑
その後ショップの方も見に行ってみました。
同行していた友人のおかげでD&Dの店員さんと話すことができました。
まず、D&Dの紹介。
D&DEPARTMENT PROJECT(ディアンドデパートメントプロジェクト)とは、2000年にデザイナーのナガオカケンメイによって創設された、「ロングライフデザイン」をテーマとするストアスタイルの活動体です。47都道府県に1か所ずつ拠点をつくりながら、物販・飲食・出版・観光などを通して、47の「個性」と「息の長い、その土地らしいデザイン」を見直し、全国に向けて紹介する活動を行っています。
その京都店が、佛光寺のこのお店というわけです。
彼等いわく、京都といういわば日本の伝統文化の発信地とも言える重要拠点になる店舗の選定にはとても労力をかけたそう。
たくさんの候補を洗いながら最終的に見つけたのがここだったそう。歴史も権威もあり、立地もよかった仏光寺は最高の物件だったのではないでしょうか。
こちら、D&D側から営業をかけたのかと思いきや、なんと佛光寺側から申し入れがあったのだとか。若いお坊さんたちが中心となって声を上げ、誘致に至ったんだそうです。
さらに興味深かったのが、宗務所内でやはり意見が対立し、一度は否決にもなったのだということ。それでも若いお坊さんたちはめげずに説得を続け、ついに認めてもらえることになったのだそうです。
いや、実際ほんとうにすごい。本山のお寺がこうして寺カフェをやるということは、普通のお寺がやるよりも何倍もハードルが高いはずです。そんなに悪いことではないと思っていても、本山がやるのはちょっと・・という意見がたくさんあったのではないかと思います。全国にある末寺に対して、「浄土真宗仏光寺派はお寺でカフェをやったりする宗派です」と宣言するようなものですから。
だけどそれでも誘致に踏み切った。その裏に、坊主たちの熱いドラマを感じるわけです。
ここからは創造の範疇を超えませんが、おそらくは、仏教はこのままではいけないという思いがあったのではないでしょうか。
D&Dのスタッフさんも言っていました。
「やっぱり、仏教も昔の慣習とか文化を維持し守っているだけでは時代に取り残されてしまう。今の若い人が仏教に関心がないのなら、関心を持ってもらえるように、見せ方を変えていかなければいけない。時代に仏教が合わせていく必要があるのではないか。」と。
本当にそのとおりだと思うんですよね。それで、佛光寺はカフェという形でそれに取り組んだということだと思います。
で、何度も言いますが、佛光寺は一派の本山なのであります。本山が自ら先陣をきってこのような試みを行ったというのは、業界を震撼させるほどの衝撃があったのではないかと思います。少なからず自分のお寺に危機感を持っている人たちにとっては、色々と考えさせられる種になったのではないでしょうか。
実際、他宗のお坊さんたちが、視察に来ているところで偶然遭遇してしまう というような光景をお店の中で見かけたこともあると言っていました。
んー、すごく面白いお話を聞くことができました。実際カフェを利用した人たちが仏教に関心を持つようになるのかという点に関しては、検証の余地があるように感じましたが、でもお寺を知ってもらう、来てもらう第一歩としては凄く良い試みだと思いました。
これが刺激となって、他のお寺でもこのような新しい試みをするところが増えていくと良いなあと思います。
ここには、その旗印となるポテンシャルが十分にあると感じます。
色々なことを考えさせられるすごくいい機会になりました。
ありがとうございました。
2016夏 京都まとめ
どこに行ったかの記録
8月30日~9月5日
30日 台風10号から逃げろ!青春18きっぷで京都へ
・ばあちゃんの家
31日 ついにフリスタ編集長と会う
・知恩院
・フリースタイルな僧侶たち代表若林さん
・森田と森林食堂(カレー)
・木嶋神社(三社鳥居)
1日 嵐山の奥地へ
・東福寺
・雪舟寺
・嵐山
・祇王寺
・愛宕念仏寺
・ねぎ屋平吉(ネギ料理専門店)
・夢を語れ(一乗寺二郎系ラーメン)
2日 寺カフェ&寺スクール
・錦市場
・佛光寺D&Department KYOTO
・忍者道場
・tera school(@親鸞交流館)
プログラミング教室と学びあい教室で子どもたちと触れ合った。
・青蓮院門跡(親鸞さんが得度した地。髪の毛を祀った塚がある。)
・岡崎別院(親鸞さんが長く住んでいた。)
・安養寺-吉水草庵(法然上人の念仏道場。初めて法然上人と出会った場所。)
・崇泰院(蓮如さん誕生の地。)
・六角堂(親鸞さんが100日間篭って修行した民衆に親しまれたお寺。)
・六角堂スタバ
・仁和寺入り口まで
・妙心寺座禅スタート
4日 座禅からの癒やし三昧
・妙心寺法堂(朝の座禅)
・妙心寺退蔵院
・はなの湯(銭湯最高だった。露天のゴザで寝た。)
・茶源郷 和束
・ゲストハウス栞庵
・アイリープゆきこと鉄板焼き
5日 帰京。名古屋でくいだおれ
くいだおれとは、食べ歩きすぎてお金がなくなることを言うらしい。
・チャオ(名古屋名物あんかけスパ)
・リュックをJRに忘れる
終わり。
次回更新
・雪舟寺
・愛宕念仏寺
・和束
・妙心寺座禅体験で思ったこと
・フリスタのこと
・D&D
・忍者道場
・
書きたいこと溜まりすぎだ笑
京都旅行一日目
昨日から京都に来ています。
今回は青春18きっぷで来ました。朝7時に家を出て、京都についたのは18時頃。途中愛知県豊橋駅で途中下車し豊橋カレーうどんの名店「勢川」で昼食をとった以外はほとんどノンストップで行きました。
夜はばあちゃんたちとご飯を食べに行きました。ひさしぶりのおばあちゃんは、少し足が弱ってはいるものの、頭ははっきりしているし、とても元気でした。
今日は、15時から友人とフリースタイルな僧侶たち編集長の若林さんと面会。このために京都に来たと行っても過言ではありません。
15時までは時間があったので、どこに行くあてもなく、とりあえず三条へ。
三条駅を出ると、なにやらレンタサイクルなるものが。見てみると、なんと電動チャリが1000円/day らしい!?
破格の値段+無人機での手続きで完結+市内4カ所どこで返しても良い とのことで、特に必要はありませんでしたがレンタルすることにしました。
(ブログ初心者なので、ここで写真を挿入スべきですが撮るのを忘れました。またレンタサイクルの会社名も忘れました。)
自転車をレンタルしたものの、行くあては無かったので、しばしふらふらと市内を散策。偶然知恩院の近くまで行ったので、立ち寄ることに。
知恩院は浄土宗の総本山で、法然上人ゆかりのものがいたるところにあります。
これまで知恩院は行ったことありませんでした。あまり興味を持てていなかったので。
しかし最近仏教を勉強し始めて、法然上人のリスペクトが高まっていました。そうして初めて行ってみました。
ちなみにお寺自体は派手でもなく、御影堂は工事中だし、観光客にはあまり楽しいところでもないです。
五木寛之の「親鸞」を読んだ僕にとってここは歴史の大舞台。ここに法然上人の念仏を聞きに民衆が集まり、講話が行われていたのだなあと思うと、景色一つ一つが意味あるもののように感じます。
じっくりと見て回りました。
その後友人と合流し、待ち合わせ場所へ。
少し待つと若林さんが登場。とっても良い人そうな見た目です。
フリースタイルな僧侶たちについてとここでのお話についてはまた別の記事に書こうと思います。
たくさんお話したあとは、自転車で太秦まで。笑 結構距離あった。
目的は、小嶋神社の三社鳥居。豪族秦氏が交流したというこの神社の中には、宇宙の中心を表し、京都随一と言われている三社鳥居があります。三本の柱でできており、どこからでも鳥居を拝めるようになっているのだとか。この由来には諸説ありますが、ユダヤ系だったと言われる秦氏が、キリスト教を取り入れて作ったのだと言われています。
僕はパワーを感じにくい体質なので、とくに不思議な感情になるといったことはありませんでした。残念。
日も暮れ始め、夕食を目指します。目指す先は、「森林食堂」。
京都で話題沸騰中のカレー屋さん(らしい)です。
中はオシャレなカフェのような雰囲気で、沢山の植物や小物、ポスターなどが店内を飾っています。調和した雰囲気の中に、なんともそそられるスパイスの香りが広がっています。
頼んだカレーがこちら。美味かったなあ。
食後、まだ時間があったので、自転車を返して三条へ。
先斗町に行きました。初めて行ったのですが、京都らしい雰囲気でとても良い場所でした。外国人が多かったですが。
納涼床が見えたので、吸い込まれるようにお店へ。
夜空が気持ちいい!畳に座って、川の音を聞きながら夜空を眺め、ビールを飲む。最高ですな。
久しぶりに会う友人とあれこれ語り合いました。彼女は電話もたまにしあうほど仲良しで、興味関心もかなり近いので、話題はつきませんでした。
という、京都旅行一日目でした。
んーー、ちょっと記録として書き残しておこうと思っただけなのに、普通の旅ブログになってしまった。笑 結構時間もかかったし。
この場をどう使っていくか、考えないとな。
前回の記事が、グーグル検索の特定ワードからのビューがあって、ちょっと楽しくなっています。これは実験しがいがありますね。ブログの中での新たな楽しみができました。
ではまた明日。
24時間テレビを感動ポルノだとか言って批判する雰囲気が好きじゃない
こんばんは。
昨日は毎年恒例の24時間テレビがありましたね。
最近はてっきりテレビを観なくなってしまってほとんど観ていないのですが、ちょっと思うところがあったので投稿します。
24時間テレビが終わってから、SNSやWeb記事で、この番組を批判する意見を多く目にしています。
こんな感じで。どうやら24時間テレビの視聴者を感動させるような番組の構成を、感動ポルノと呼んで批判しているようです。
確かに自分も過去に家族と見ていたときは、「感動させにきてる感じが嫌だよね。」という話はよくしていました。
記事に書かれている内容も、ライターさんが書いている目線から言えばその通りですし、納得させられる部分も多くあります。
でも、そもそもその目線がなんか残念だなあと思いまして。
要するに「数字のために障がい者の人達をコンテンツとして扱っている」という批判だと思うのですが、まあ確かにその視点はもっともなことで、障害者の方を無理やり富士山に登らせたとか、そんな話も目にしました。障がい者の方に無理をさせていないか?と言われると、ちょっと微妙なところもあると思います。
でも、
そんな批判をしてしまったら、本当に全て台無しになってしまうじゃあないか!と思うわけです。
僕は、大人って自分が想像しているよりもずっと優秀だし深く考えてるし素晴らしい人がたくさんいると思っています。表面上の情報やネット上のコメントに流されて、浅はかに批判的な目で物事を見てしまうことほど愚かなことはないと思います。
今回の件もそうで、24時間テレビを作っている人たちは、単に数字を稼ぎたいとかそんなことでこの番組を作ってるわけじゃないと思います。もっと、局をかけて実現したい社会に向かって番組を作っていると思います。
事実、実は父の職場が24時間テレビのドキュメンタリーのひとつとして取材されたことがあるのですが、そこに取材に来ていた方々はみないい人達で、単に視聴者の心をつかむようなものでなく、こちらが伝えてほしい要素をしっかりと盛り込んで作ってくれていました。
きっと他の取材先だって、そうした議論を重ねて、同意したうえでそれなりの覚悟を持って出演を決めていると思います。安請け合いは絶対にしていない。
そうして作られた24時間テレビなんだと思うんです。みんなが思いをもって、伝えたい事があって、作られていると思うんです。
それを、批判的な目でしか見られないのって、悲しくないですか?
上の記事で、ひとつだけどうしても無責任な批判だなあと思うのが、この箇所。
別に謝罪はしなくていい。同局の同番組関係者はこれまでの番組のあり方を総括し、敬虔な反省を持つとともに、自己批判を行うべきだろう。喝だ。大リニューアルが行われない限り、私は一生見ない。まあ、私が死ぬまでには、同番組は支持されず、終了していることを祈る。そして、「24時間テレビ」なんていうイベントがなくても、普通に障がいや貧困を乗り越えた愛に満ちた世界が実現することを祈る。
この最後の一文。「24時間テレビなんていうイベントがなくても、普通に障がいや貧困を乗り越えた愛に満ちた世界が実現することを祈る。」
これ。じゃあどうやったら普通に障がいや貧困を乗り越えた世界が実現するのでしょうか。
僕は、テレビのようなものを通して発信して、それをたくさんの人が目にして何か考えるきっかけを作っていくことが、障がいのない社会を実現する第一歩だと思っています。
社会問題を扱うツアーを企画する会社 リディラバの代表安部さんは、「一番の社会問題は、無関心なことだ。」と言っています。
僕もそう思います。みんなが社会問題に少しずつ関心を持つことができれば、社会は少しずつ変わっていくと信じています。
以前、身体障がい者のことを伝える「i-link-you」という団体の皆さんや社会起業家の方々と一緒に、「身体障害者が普通に暮らせる社会を実現するにはどうしたらいいのか」ということを議論したことがあります。
そのとき自分の中で辿り着いた解決策が、「ブームを作る」ということです。
結局、大企業や行政が動かないと、社会は変わっていきません。じゃあどうしたらそれを動かすことができるのか。慈善の気持ちだけでは動きません。何かそれをやって返ってくるメリットがないと動きません。じゃあメリットを作ってやればいい。それが、ブームを作るというところに繋がります。つまり、会社で障がい者が暮らしやすい社会の実現に積極的に取り組んでいれば、その会社が良い会社として評価されるような、そんな雰囲気が生まれればいいと思うのです。
これは女性の社会進出とか、最近ではセクシャルマイノリティの問題とかも同じ構造かなと思っていて、いち早く女性の雇用に取り組んだインテルなどはソーシャルグッドな企業として評価されるようになったし、最近でもマイクロソフトなどが積極的にセクシャルマイノリティの社員に対する環境整備を行っています。
このような動きが評価されるのは、人々がその問題に関心を持っているからです。「人々の関心」という利益への種があれば、企業はそれに対してアクションを起こします。
そうやって、人々の関心から、大きなところが動かされて、社会が良くなっていくのではないでしょうか。
話を戻すと、障がい者についてもこれと同じことが言えると思っていて、今は正直なところ、障がい者の方々の問題に対する関心が低いのが現状だと思います。女性やセクシャルマイノリティについての議論はよく目にしますが、障がい者に関する議論はそれと比べて少ないと感じます。もっとこの問題にみんなが関心を持ってほしい。
そういったところに人々が関心を持つようにするために、24時間テレビのようなテレビの力はとても重要なのではないかと思うのです。長くなりましたが、これが言いたいことです。
感動ポルノだとか言って批判するのは簡単ですが、じゃあどうやって障がいのない社会を実現していくのか。そういうことまでじっくり考えたうえで、批判するかどうか判断したほうが良いのではと思います。
矢面に立って、テレビに出演した障がい者の方々のことを、僕は本当に勇気があるし素晴らしいなと思います。
どうかこのような人達にとって一番いい形で、24時間テレビという番組が消費されることを願います。
人生初お神輿担ぎin亀戸天神社例大祭
昨日は人生で初めてのお神輿担ぎに行って参りました。
iLEAPで一緒だった江戸っ子ゆうさんに誘ってもらい、ふらっと参加しました。
初めはみんなの写真を撮ろうと思っていただけだったのに、衣装を貸してもらって、急遽担がせてもらうことに!
楽しかったなあ。
身長が高いがゆえ、中腰で担がなくてはならず、全身にきました。。肩と太ももが痛い。
すごくいい夏の思い出になりました。
読書会にて
【秦と竹田家の読書会】
と題して、ルームメイト竹田と読書会を始めました。
目的としては、
・短時間で多くの本の知識を共有できる機会
・普通にしていたらまず読むことのないだろう本との出会い
・自分の中で完結していた解釈から、外の視点が入って新しい発見を得ること
・友達づくり
てな感じです。
今日は第二回でした。
紹介された本はこんな感じ
・・・
「暇と退屈の倫理学」國分功一郎
「暗号解読」サイモン・シン
「からっぽ」アンディ・プティコム
「重力ピエロ」伊坂幸太郎
「普通がいいという病」泉谷閑示
「黒猫の遊歩あるいは美学講義」森晶麿
「夜と霧」ビクトール・E・フランクル
・・・
八時から始めて、あっという間に時間は過ぎ、気づいたら終電の時間になっていました。アカデミックな学びはもちろんのこと、人生について語り合う時間もあったりして、とてもいい感じの会になっています笑
飲み会でわちゃわちゃやるのもいいけど、こうしてじっくりと様々なテーマについて語り合うのも楽しいなぁと思います。
本を媒介として色々話をしていると、その人の性格や思想、興味関心が見えてきて、自然とその人に対する理解が深まっていきます。相手のことを知って仲良くなるアプローチとしては、凄く良いなあと思いました。そこでできた繋がりは、普通の飲み会とかでできるものよりも強固なもので、また話したい、何かして遊びたいと思う気持ちが強い気がします。
さて、今日は色々なことを感じたのですが、もう明け方に近いので笑、特に印象が強かったことを書き残しておきます。
*場を良くするために言いたいのか、相手のために言いたいのか、単に自分が言いたいのか
読書会は、6~8人で開催されるので、一人あたりが話す時間が当然ながら少なくなります。ふっと考えが浮かんで話そうと思っても、先に他の人が話し始めたり、一対一で話している時のように自由に話すことはできません。これはもどかしいことなのですが、意外に結構いい効果もあるなあと感じます。というのも、ふっと自分が思い浮かんで言おうと思ったことについて、一度自分の中に飲み込んで吟味することができるからです。言いたいことを飲み込んだまま、さらに会話を聞いていくと、「あ、さっきのタイミングであれ言うのはちょっとずれてたな。」と思うことが結構あったりします。
そういうときに、あれ、これって本当に相手のためを思って言おうと思ったことだったのかな? 実は自分が言って満足したいために言おうとしたんじゃないかな。 と思ったりするわけです。
人と会話するとき、特に悩み相談だったり、もやもやしていることを聞くときには、第一に相手のためを思って発言をしたほうが良いと思うのですが、どうしても我が出てきてしまうことがあると思います。自分の体験からこうしたほうが良いよとか言うのって、たぶん掘り下げると自己満になっている気がします。
その人の本当の意図はどういうことで、何をいうのが適切なのかということを、じっくり考えて、バランス感覚を保って話をしたいなあと思いました。
読書会の内容とは関係ないけど、そんなことを考えました。